2020年12月5日土曜日

永遠現在形

 

やってくる一瞬一瞬が

過去のさまざまな一瞬一瞬に

信じがたいほど緊密に結びついていて

さっきもパソコンに向かって文字を打っている刹那

むかし住んでいた世田谷区の池の上の

井の頭線の近くにあった熱帯魚店の前を歩いて行く時の感情が

どっと蘇ってきて

しばらく当時のそのあたりの風景の中に入って

見まわし続けていた

 

買い物は下北沢まで二十分ほどかけて歩いていき

大丸ピーコックやナチュラルハウスで買った後

ふたたび二十分ほどかけて池の上まで戻ってくるのだが

その途中に熱帯魚店のある道を選ぶこともできた

その道は井の頭線を横断していて

向こう側に行くと文房具屋があったり

毎土曜日の朝に洗濯しに行くコインランドリーがあったり

親切な店主がいる昔ふうの八百屋があったりして

そこの店主は秋になると

ぼくらのために熟した柿を取っておいてくれて

格安の値段で売ってくれた

クリームのようになったやわらかい柿をエレーヌは好んだので

それを聞いてからというもの

店主は近所のお婆さん客かぼくらのために

熟柿は取り置いておいてくれるようになったのだった

 

エレーヌは店主のことを「おじいさん」と呼んでいた

まだ四十代かせいぜい五十代の人だったので

「おじさん」と呼ぶべきだったのだが

フランス人の彼女には「oji-sannという発音がうまくできず

ojii-sann」になってしまう

その人を見たことがなかった頃に

エレーヌから「ojii-sannは親切だと聞かされていたので

はじめていっしょにその八百屋に行った時は

なあんだ、「oji-sann」じゃないか、と思ったが

帰り路もその後も

なんども「oji-sann」と発音させようとしてみても

どうしても言えず「ojii-sann」になってしまうのだった

 

もう三十八年前のことだというのに

ついさっきのことのように生きている

永遠現在形の瞬間

きっとぼくが死んでも

いつまでも行き続けているであろう瞬間

 

いま思いついて記したのだが

いいな

永遠現在形っていうのは

 

ぼくの言語の中の

重要な時制だ




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