都築省吾
悲しくも火に囲まれし人人や駈け来駈け行く駈け駈け廻る
炎去りよろめき立てば焼け死にし人ころがれりうしろにかたへに
平崎三郎
布団かむりゆらゆら来たる女ありあはれ一夜に気やふれたるか
天久卓夫
頭髪のやけうせしむくろみどりごをいだきてころぶ日の照る道に
能重真太郎
焼死体をトラックに積む兵卒ら無造作なり荷物を扱うごとく
藤村省三
火に耐えて形たもちし瀬戸ものの洗へば崩るわが手の中に
3月9日は
ミクの日
という情報が
ネットを見ていたら
流れて行った
初音ミクの日
だという
たしかに3と9で
ミク
わたしの場合
3月のこのあたりの日々については
3月10日が
東京大空襲の日
と
こればかり
思い出される
東京に住んできた人たちにとって
親や祖父母の世代は
この日に大きな恐怖と損害を被ることになり
たいへんな苦労をしたので
いつまでも語り草になる
死屍累々となったあたりのひとつに
今は隅田公園が作られているが
あそこで野点をやると
今でも
憑いてくる霊がいるそうだ
数日はからだが重くなってしまう
という
お茶をやっている人から
そう聞いた
東日本大震災の話が
ちらほら
ネット上に見えるようになってもくるので
これはまた
どうしたことだろう
などと
思っていると
そうか!
3月11日は
東日本大震災の日だったではないか!
3月10日の
東京大空襲のことは
まっ先に思い出すのに
3月11日の
東日本大震災のことは
ほとんど忘れてしまっていることに
われながら
すこし驚いてしまう
地元の人間の心というものは
やはり
地元に関わることを
優先して
思い出したりするものなのか?
ちなみに
3月12日は
財布の日なのだそうな
3(サ)1(イ)2(フ)というふうに
洒落たのだろう
スイーツの日でもあるそうだが
3(スリーのス)1(イ)2(ツーのツ)ということらしい
3月10日も
3月11日も
洒落にならないほどのことが起きた
記念日なのに対し
一夜明けた3月12日のほうは
洒落のめした
記念日となっている
そういえば
東日本大震災を経験した
仙台の大学生から
こんな話を
聞いたことがある
飲み会が夕方からあったので
はやめに店に向かっていたという
仙台の人間は
飲み会などの際は
予定の時間よりずいぶんはやく出向いて
先に飲みはじめる者もいたり
まちまち
遅れてきて
飲み出す者もいたりするそうだ
まだ皆が集まらないうちから
飲みはじめていると
地震が起こった
店は無事だったが
大地震だったのですぐ家に帰ろうと思い
帰路についた
海に近いところの見慣れた川に出ると
川の水がすべて引いてしまっていて
川底が見えている
これはあまりに異常だ
と恐ろしくなった
大津波の来る前に川の水が引いてしまう現象を
目の当たりにしたわけだった
その後すぐに大津波が来た
彼は巻きこまれなかったが
大津波で街じゅうが破壊されて移動できなくなり
その後一ヶ月間
自宅に帰ることができなかったという
家族との連絡も
取れなかったという
3月10日
東京大空襲の日
妻の父はまだ中学生で
たまたま
両親は多摩に行っていて不在だったので
子どもたちだけで
日暮里で
大空襲に見舞われた
火の中を姉たちと逃げ惑ったらしいが
その際に見たものを
死ぬまで
ついに
子には語ることはなかった
大空襲の翌日や
その後の日々
わたしの祖父上杉秀松は
その頃住んでいた田端から下町へと
被害状況を見に出かけた
隅田川は死体で埋まっていて
陸の至るところにも
死体が山積みになっていた
神田生まれの江戸っ子である上杉秀松は
子どもの頃から馴染んできた東京のあちこちが
すっかり様変わりして
ひと晩で
滅んでいってしまったのを見た
見て
見て
見て
なおも
見ながら
歩きまわり続けた
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