もう初夏だからか
汚なくしていないつもりでも
トイレのモワッとした感じが気になって
ちょっと時間のとれたのを幸い
ちょこちょこと掃除
ほんのちょっとのつもりが
便座をしっかり外して
あちこち
ちょこちょこ
ちこちこ
やるうちに
すぐに20分30分と経ち
そろそろ1時間
うららかな午後に
もう夕暮れの雰囲気が
染み上り出している
それにしても
便器やその周囲の掃除なんか
まだまだ楽なほうで
問題は
流した時に飛沫が細かく散っていく
四方の壁の掃除
こいつは実はかなり手ごわい
ちょっと洗浄液でもつけて
簡単に拭きでもすれば
すぐきれいになるだろうと思っていたら
とんでもない
よく見ると細かい汚れがこびりついていて
擦っても擦っても
それらはなかなか落ちない
30センチ平方ぐらいを拭くのでさえ
けっこう時間がかかる
しかも紙に洗剤をつけて拭くと
すぐに紙がぼろぼろになってしまって
どうしても布でないといけない
ということで
適当なぼろ布を探しに
押入れのあちこちに探しにいったりし
これはこれで
しっかり時間がかかる
布探しだけで
いつのまにか20分ほどは経つ
便座は汚くなってはいないが
それでも
プラスチック製のあちこちの縁に
拭い切れない埃や汚れが溜まってしまう
けっきょく風呂場で
シャワーをじゃんじゃん当てながら
隅々まで洗い直すことにしたが
なんだか
ペットの犬や猫でも
風呂に入れて
洗ってやっているみたい
いっそのこと
こんど風呂を沸かした時には
おまえを抱えて
いっしょに湯船にでも入り
浸かってみてやるかな
おゝ
日々世話になっている
かくも大事なる
わが便座よ
うるわしくも歳古りた白磁っぽい
白とクリーム色のあいだっぽい色あいの
わが毎日の親愛なる友よ
大事な隠しどころを隈なくご存じの
あやしいまでに親密な
秘密の分かち合いの相手
便座よ
気のなかに
また
ひどく不穏な近未来が染み広がっている
苦しむ人々が増える
人の作ったものは壊れ続ける
その地の人が
作る意欲を失うまで
すみやかに逝った人の平穏を
幸を
なお生きていて
動き続けねばならない人々は
みな羨む
しだいに
人々は神意を思う
なにが悪かったのか
自分たちのなにが
とようやく思いはじめる
地震の続く熊本の
知り合いのあの人や
別のあの人などのことは
すぐに気になり
メールしたりもしたが
訪れた時に寄った
いろいろな店のことなどは
すっかり失念していて
何日も後になってようやく
思いが到るようになった
あれらの店々は
どうなっているだろう
品物がひっくり返ったり
棚まで倒れてしまったり
店も傾いたりしただろうか
思いが向かうまでの
こんな遅れぐあいに
わたくしは自分の中の
ちょっとした欠損部分を
見たような気がした
…悪、
というものだろうか
少なくとも
その芽?
こんなことも?
起こることにも
それとぴったり同じ姿の
見えない身体があり
それは先んじて
宙の中に現われている
それを見れば
なにがどのように
現われてくるかわかる
やってくる時も
起こることなので
それとぴったり同じ姿の
見えない身体がある
宙の中への現われ方は
こちらはちょっと違うので
見て取るコツは
すこし難しい
起こることとの
扱いと合わせると
さらに
ものの世界だからと
いつも限界を負わされて
負わされるふりをして
…しかし
そろそろ無視し
逸脱して
ものの縛りから外れても
いいかもしれない
ものでないわたしの部分が
ものでない動きを
しかるべく始めるように
ひどく眠くなって
ソファに横たわったが
ふいに世界が来た
この数日会った人々の顔が
世にも稀な茸のように
いきいきグングンと
押し迫ってくる
人々が今の彼らであるのが
あのようであるのが
こんなにも特別な
世にも稀な時なのだ
と気づく
世がこのようであって
人々があのようであることが
じつは本当に特別なことで
見せてもらっているのか
いま、それを
最盛期を
と気づいて
そら恐ろしいような
壮絶なソファ
これからなにが起こっていくか
すでに年来の予言詩で示しておいてある
体調をととのえ
不要不急の活動は少なめにし
身のまわりと心の持ち物も減らして
どんな非常時にも
機敏に対応できるよう
準備しておくべき時節が来ている
仕事として必要な生産や活動以外は
減らすかやめる方向で進んだほうがいい
物として蓄えてもゴミになっていきやすい
電子的なデータ保存をするほうがいいが
じつはそれも20年以内の電磁波異常で
地上からほぼ消滅することになる
美や充実や生甲斐は
今の一瞬のうちに味わいつくせる態度が
これからは本当に必要になる
だれもが死と労苦と衰えの淵を歩む
平穏と見える地でも平気で死が隣りに来る
災難の地でも安らぎと豊かさはある
どんなことが起ころうとも
日本はまだよかったと思われるようになる
世界中に起こることのむごさ
限度がないと見えるほどの甚だしさ
それらにも耳目はやがて慣れるだろうが
奈落の底が開いた怖さに慣れることはできまい
他人のことを
鋭く見抜けているつもりになっていたり
分析できているつもりになっていたり
評定できているつもりになっていたりする時に
はるかに厳しく
完膚なきまで
見抜かれてしまってもいることは
見落としがち
こちらが相手に思う程度のことなど
むこうももっと冷厳に思っている
双方の思いの中で
激烈に評定を下しあっている
ことばにしないだけで
態度にさえ示さないだけで
疲れるのも大事なことで
そこから
ほかの人の
まったくの別のからだの疲れにも
思いは伸びていける
自分そのものではない
自分のからだ
それがこう疲れるのなら
ほかの人のからだも
同じように疲れるのだろうと
思いは伸びていける
ほかの人のからだが
ほかの人そのものでは
ないだろうことへも
からだに
ありがとう
と言ってごらん
じぶん自身のからだに
たちまち
からだが温かくなってくる
すぐにわかる
疲れた背や
腰や
足や
ほかのどこでも
ちゃんと名を呼びながら
頭よ
ありがとう
心臓よ
ありがとう
と言ってごらん
たちまち
そこが温かくなってくる
すぐにわかる
わたしよ
ありがとう
と言ってやったこと
ありますか
あなたのわたしは
ずっと
それを待っていた
わたしよ
ありがとう
といつか
あなたに言ってもらえるのを
わたしよ
ありがとう
と言ってごらん
たちまち
あなたは温かくなってくる
すぐにわかる
まわりのみんなにも
すぐにわかる
部屋の中が雑然として
未整理なまゝ
本や書類が積み重なっている
きれいに整理したいが
なんとなく
そうする気にならないこの頃
部屋に物が少ないのも
整っているのも好きだが
それがそのまゝ心の整序を表わすかどうか
ましてや魂の澄明さや
宿命に溜まった澱みの大掃除の
捗りぐあいを表わすかどうか
物は物として物の山に放っておけば
結局はそれでいいのかもしれず
それが究極の放下かもしれない
もっとも悪い心根とはなんだろう
もっとも心の悪いありようは
とよく思う
ひとつを選ぶ必要もないし
さかしげに決めてみる必要もないが…
悪そうなことは
あれや
これ
いろいろ浮かぶ…
もちろん
悪いこととは?
という定義にも
ふたたび
迫られてくる
けれど
気にかかってしょうがないのは
評価者になろうとする欲望
他のものについて
他人について
とにかく評価してやろう
自分こそが評価者になろう
そんな態度
いやだな
と思う
もちろん四六時中
人は他人の評価ばかりして生きている
それが
対人的な心の自然の動きだから
小さなことから
大きそうなことまで
政治行動から
アイスの味選びまで
装いや
靴の合わせ具合
しゃべるときのちょっとした言葉選びから
もちろん
詩歌のトーン設定まで
けれど
あたかも自分の価値観や
美意識が
疑いようもない正統であるかのように
なんの逡巡もなく
他人をイイ/ワルイと評価する人たちを見ると
いやだな
と思う
あっという間に
その人たちの周囲に壁ができ
ハトが止まるのを邪魔する塀の上の棘のようなものが
壁から外にむかって繁茂するのが見える
いやだな
と思う
そうして
いつもながらに
何度も
何度も
夢見てきたように
他人を全く評価しない心とアタマに
憧れ出す
イイとも思わない
ワルイとも思わない
さらには
他人とも思わない
もう全く
他人を生きていない
そんな
心とアタマに
どの電車に乗っても
疲れている人が多かったように見えたが
花のせいだろうか
桜に疲れたのか
ようやく桜も去っていこうとしていて
川には花筏が揺れていたりする
見飽きたようでも
見飽ききらない渇きが
街の風景のあちらこちらに
透明に染みているかもしれない
また来年の花時まで
と思いながら
二度と見ることのできない人も
本当は
どれだけいることか
しかし
みんな隣りあい
交じりあって
春
の
風景
目の前にないものも
風景も
人は見るが
まずは今
見えている風景に
ひとみを晒す
すべて
見えている風景の中に
あるつもりで
あるようなつもりで
わたしには主張すべきものもないし
うるさく言い募る人たちと違って
じぶんの思想
などと言ってみたくたって
読みかじり
読みあさりの
あっちこっちの断片の
パッチワーク
考え方にしたって
民主主義っていうのは
徹底したら
天皇さんがいるのはヘンだと思ったり
でもそこらの首相より
よっぽど
天皇さんのほうが
お人がよさそうだし
などと迷ってみている始末で
不徹底
不正確この上ない
感情など
父母のあれこれの反応のしかたを
脳の奥に染み込ませて
そこに後から
他の人たちの反応のしかたを
吸い込んで
自分の心で御座いと
思い込んでみている程度
そうして
あゝ
たましいときたら!
あるのか
ないのか
時どき言葉としては
大仰に使ってみたくなるものの
カラオケで
おじさんが放吟するようなぐあい
口から出まかせとは
このこと
もちろん
身体なんて
徹頭徹尾借り物
地上の原子分子をかき集めて
必死で顔かたちを
支えているだけのこと
DNAなんぞに至っては
アダム爺ちゃんとイヴ婆ちゃん以来
ずるずる引き摺ってきている
借り物中の借り物
そんな伝承を別にしても
最初の類人猿はルーシーと云うそうで
ルーシー婆ちゃんのDNAを
後生大事に抱え続け
使わせてもらっている
ということは
とんでもない超保守主義者なわけで
道理で
革新改革刷新ばかり空疎に叫ばれる
この世とは
反りが合わないというもの
小野十三郎は
母の友だちのお父さんだったが
教科書で読んだ桜の歌は
なかなか
のんびりと哀切で
とてもよかった
むかしは
いろいろなところで
目にしたが
山村暮鳥なんかも
言い過ぎず
とてもよかった
他には
田中冬ニとか
丸山薫
黒田三郎や
千家元磨
八木重吉だとか
とりわけ
津村信夫など大好きで
時代や政治を
あまりじかに書かないのが
みな
よかった
立原道造も
ずいぶん
ノンキなもんだとも
思うが
詩というのは
あゝあって
もらいたいと思う
人が忙しい時に
ごろニャンとしている
猫みたいに
だれか
いつものんびりと
スミレ色の夢を
見ているような人が
詩人として
いて
ほしい
《私たちの 心は あたたかだつた
《山は 優しく 陽に照らされてゐた
《希望と夢と 小鳥と花と 私たちの友だちだつた*
こんな
よっぽど老いさらばえて
もうどうでも
なってしまえという歳でないと
なかなか
恥ずかしくて
書けないような行句を
よくまァ
二十ちょっとで
書き残したものだと
ほのぼの
感心してしまう
*立原道造『草に寝て…』