本を読みたくなることも
たまにはある
子どもの時に課題で読まされて以来
まじめに読み通したことは
一度もないまゝ
夏になれば蝉を聞き
秋になれば蟋蟀
冬になれば北風を聞くだけで
すこしも飽きなかったし
時間はいつも山里の奔流のように
流れていった
本読みということで
思い出すのは
小学校の頃の怪人二十面相
シャーロック・ホームズ
ドリトル先生のあれこれなど
いちばん熱心に読んでいたのは
五年生や六年生の頃だったか
それもなぜか
真夏の暑い日々
花壇の水撒き当番の仕事を終えた後で
木蔭で休みながら
まわりのことなど忘れて
長いこと
いつまでもいつまでも
読み耽っているのが思い出される
蝉の声がうるさいけれど
その声の中でシーンとする空間ができて
本読みにいつまでも集中していられた
蝉の声の中のシーンという空間を
なんども体験していたから
後になって松尾芭蕉の
閑さや岩にしみ入る蝉の声
を知った時も
まったく驚かなかったし
べつに斬新とも思わなかった
蝉がわんわん鳴いている時
静かなのは当たり前のことなのだから
あの頃の本読みはよかったなァ
書かれていることが楽しくて
それを追っていくのが楽しくて
一冊の本が終わらないように
終わらないように
とわざとゆっくり遅くして
のったらのったら読んだりした
そんな本読みは楽しくて
汗がだらだら垂れる
真夏の暑い盛りでもなんにも
困ったりはしなかった
すてきなことはみんないつか終わるもの*
楽しい本読みの時代もすっかり終わって
小学校のあの木蔭の本読み以来
たったの一度も
本を読んだことなどない
だから
逆に
本を読みたくなることも
たまにはある
本読みには
いい思い出があるから
いい思い出はあるけれど
いい思い出は
いい思い出のまゝ
死んでいくのもいいかな
と思って
読むことは
もうないかもな
…うん
もう読むことはないだろうな
たぶん
もう
すべては
終わってしまっているから
もう
なにも読むことはないし
なにも知ることはない
もう
なにも言うべきことはない*
*村上春樹『スプートニクの恋人』
**ルイ=フェルディナンド・セリーヌ『夜の果てへの旅』
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