2016年7月12日火曜日

そのからだに任せ切るべきだ



暑いのかと思えば
朝の東からは
涼しい空気の流れも入ってくる
太陽が昇る方角なのに
この涼しさはなんということだろう

東の部屋から
西の部屋へ
また
南の部屋へ
そうして
北の部屋へも
移動するのには
ちょっと歩かねばならないが
そうする間の家の中でも
さまざまな温度差を感じ続けるのが
言ってみれば
いちばん小さな
いちばん親しい旅の感触

むかしキルケゴールの父は
小さかった息子と
よく部屋の中を歩きまわって
“旅”をしたという
グザビエ・ド・メーストルも
一七九四年
じぶんの部屋のまわりの“旅”を
企てたものだった
旅は踏破する距離や
浪費される体力や時間によるのではない
“旅”となる距離や時間と
そうはならない距離や時間があり
そのあいだに
なにかの超克がある

水量の減っていた
観葉植物の水耕ガラス瓶に
たっぷり水を補給できたのも
今朝の“旅”のおかげ
この頃
なにか滞りの感じられていた身体的な身辺が
急に活き活きと通りがよくなったのは
こんな補給のおかげか

からだは肉のからだのはるか外まで広がっていて
ことばや色やかたちや音や声や
よく情報と呼ばれることばや意味の綾
世界中の無数のクモたちの本能的な作業のように
人々が織り続ける表象の糸や網にまで
広がっているし
広がり続けてしまう

それらをすべてじぶんのからだとするか
どこからがじぶんのからだでないものとするか

あたまで
知で
理で考えようとすれば
これは眉間に皺のよる大問題だが
肉をはるかに超えたからだには疾うからこれがわかっている

そのからだに任せ切るべきだ
じぶんというものさえ
そのごく小さな一部でしかない
そのからだに



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