2016年8月13日土曜日

屈託なく夏を楽しんでいる子たちを目にすると



大病とともにしか
少年時代はなかったので
屈託なく
夏を楽しんでいる子たちを目にすると
失われ尽したものを
いまだに
心のどこかは
回収しようとしているように
感じる

毎週の診療に通う
医院への道で
まだ
じぶんを漠然としか
意識もしていなかったのに
もう死ぬまで
思いっきり走ったり
好き勝手に運動したりも
できないのか…
そう思って
手や腕や足を眺めたことがあった
なぜだか
その瞬間をよく覚えている

握りしめていた財布には
五百円札だったか
いくらか入っていて
医院からの帰路
それはいつも
たくさんの薬に
姿を変えてしまう

腕の血管にも
太い注射の後が青く残り
下手な看護婦にかかった日には
針先から逃げる血管を
針を刺してから探すものだから
紫にまでなった

なにひとつ
疲れるほど熱中してはいけない
運動はいけない
勉強はいけない
と注意され続けながら
六年間が
過ぎていった

もう
認めてやっても
いいのではないか
あゝいう
少年時代だったのだと
この無限の
多様性のあらわれの世で
あのような少年も
たぶん
いてよかったのだと

他人から
見れば
じぶんも屈託なく
夏を楽しんでいる子だったかも
しれないと

失われ尽したものは
なんだったか
そんなもの
あった?
ほんとうに?

屈託なく
夏を楽しんでいる子たちを目にすると…

屈託なく
夏を楽しんでいる子たちを目にすると…



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