朝までファストフードで
みんなたわいもない話
時が経つのも忘れていたね
ともに過した日々が懐かしい
いつしかあなたとふたりで
会う機会多くなってた
あの時のよな気楽な気持ち
どこかに忘れてしまったよね*
Every Little Thing 《Time Goes By》
POPHILL’97(8月9日)の舞台で
Every Little Thingの持田香織が
“いちばん新しいシングルを聴いてもらいたいと思います”
と『出会った頃のように』を披露した時**
音程にもあやしいところがあるし
彼女の声もまだ震えていたりするが
一年後、東京国際フォーラム・ホールAでの
1988年8月3日と4日のかれらのツアーの舞台では***
最後の曲として披露されたこれが
危なげなく安定した声と
(長丁場で疲れていただろうに) しっかりした音程で歌い切られていて
一年のあいだにこれだけ貫禄がつくものかと
かなり驚かされる
1997年8月9日(土)、私は
フランスのポーPauから北海道新聞宛てに
依頼されていた新聞記 事を郵送し
依頼されていた新聞記
人生の共犯者compliceたるエレーヌ・セシル・グルナックHélène Cécile GRNACとともに
11:47にポーを発って
12:15にカトリックの聖地ルルドLourdesに到着してい る
ホテル《カフェ・ド・ラ・ガール》Hôtel Café de la Gare(★★)に投宿し
すぐに聖堂や洞窟に向かい
世界中から集まった病人たちの集まるミサの外で
小川のほとりに座りながら
おそらく天空の無数の天使たちの羽風に吹かれてのことだろう
理由もないのにとめどなく涙が出続ける経験をする
市内の書店でルネ・シャールRené Charの詩集を買う
午後4時にルルド市内の(なんと!)マクドナルドで軽食
夜に《ル・リッシュLe Riche》でディナー
ホテルに帰って靴下を三足洗濯し
絵葉書を三人宛に書く
1998年8月3日(月)、私は
1月にふいに私を裏切って他の男へ走った玲奈に、ちゃんとした
別れの話の場を設けるよう、なおも手紙を書き、投函する
佐藤某から電話
理映から電話
歌人・書家の坂本久美(故人)へ電話
詩人・関富士子より
私の詩誌《ヌーヴォーフリッソン》16号についての感想の手紙
ルドルフ・シュタイナー『神秘学概論』読み続ける
1998年4日(火)、私は
朝に朝日新聞に電話して新聞が配達されていないことを告げる
隣家の武村俊さんに電話し、外猫ミミのことを話す
新しい女たちの激しい接近の中で方向を見定めるため複数の占い をし、
玲奈の回帰の可能性を得る一方、
アメリカ女性レスリー・モーガンLeslie Morganとの結婚は遠のくとの結論
夕方から伊藤妙子と新宿バンチェット、TOPS8階で飲んだ後、
京王プラザ45階のポールスターでさらに飲み
朝まで帰らない
ほとんど言葉を発することのない不思議な女、妙子の人格には
いつもながらに強烈な印象を受ける
Every Little Thingとは関わりがないが
1998年8月8日(土)、私は
外苑前のバー《ハウルHowl》に行き、
コピーライター佐伯誠の発案で集まった
出口三奈子(雑誌『東京人』編集者、出口裕弘氏の娘)
阿久津里美(ダンサー)
和田美穂子
福山悦子
バー《ラジオ》のバーテンダー小西ら7人で
代官山の三宿食堂へ食べに行く
カルパッチョが記憶に残る程度で、 たいしたこともない食事だったが…
その後、外苑前の《ハウルHowl》まで歩いて帰り
朝の5時まで飲みながら、いろいろな客たちと話し続ける
『装苑』編集長徳田民子、
編集者内田加寿子、
文芸雑誌『リテレール』編集者藤田由美枝らがいた
しかし
1988年8月頃、私は
まだ
Every Little Thingを認識していないし
持田香織の声も
しっかり聴いたことはなかった
8月11日に坂本久美と河津温泉のリバーサイド河津に行った時も
レストランでは歌謡曲が流れていて
Every Little Thingをおそらく耳にしているはずだが
やはり認識していない
ラジオの放送作家の仕事で忙しかった坂本久美は
朝も昼も夜も
どこにいても
ラジオ局からの電話を受け続けで
食事の時さえ安まる時がなかった
12日には下田に向かったが
坂本久美は唐人お吉ゆかりの安直楼に上がるのを非常に怖がり
私が中を見学する間
外の道でひとりで待っていた
私は宝福寺のお吉の墓からすがすがしいものを感じたほどだったの で
坂本久美の反応を不思議に思ったが
数年後にガンで死去することになる坂本久美は
なにか自身の宿命のようなものを感じ取っていたのかもしれない
夜に帰宅してから、11日中に届いていた
詩人・長尾高広の詩集『縁起でもない』(書肆山田、1998) を読み
とてもよい本だったので長尾に電話し感想を伝える
Every Little Thingをつよく認識し
持田香織の声を
しっかり身に染まして聴いたのは、翌年、 1999年3月25日深夜から
26日朝にかけてのことか
助手をしていた大学の卒業式の謝恩会運営の中心となり
新宿《カフェ・マルティニック》で会を滞りなく進めた後
小説家久間十義氏を囲んで《土風炉》で二次会
その後さらに学生たちと歌舞伎町《つぼ八》で三次会
朝の4時頃まで飲み続けるうち、学生たちは皆ひどく酔う
そろそろ電車の始発だからということで店を出るが
特にひどく酔った女子学生ふたりが歩けなくなりマクドナルドに避難する
ルルドで入ったように、予期もしなかったのに、マクドナルドに!
そうして、ふたりの酔いが軽くなるのを
コーヒーなど飲みながら皆で待つ
ひどく酔ったうちのひとりは
卒論の相談によく話に来ていた鈴木あづさで、私の
膝の上に
小さな頭を乗せて
小一時間ほど眠り続けた
この小一時間ほどの間に
Every Little Thingがシャワーのように鳴り続けていた
響き続ける持田香織の声の中で
鈴木あづさは眠り
私の膝の上に乗っている彼女の頭をときどき見ながら
テーブルを囲む五人ほどで
ぽつぽつ
話をし続けていた
鈴木あづさの髪を撫で続けながら
玲奈が終わり
レスリーが終わり
坂本久美が終わり
まったく新しい時期へと抜けていくのを私は感じていた
歌舞伎町のマクドナルドが
1999年まで私だったものの剥がれ落ちの場となり
変貌の場となった
1988年8月11日に話を少し戻すが
そう、坂本久美と河津温泉に向かうあの朝
下北沢駅から乗った新宿行きの小田急線内で、私は
生涯で二度とは会えないと思えるほどの理想の女に会 った
赤ん坊を抱いた三十歳以上の女で
すでに人妻で子供もあり、私の手のまったく届かない状態にあった
私が生涯を賭けるべきでありながらすっかり失われてしまっている 女を
新宿駅に着くまで目の前に見続けながら
以後の私の人生がエピローグでしかないだろうことを
後日譚のようなものでしかなくなるだろうことを痛感していた
すでに人生の本編は終わってしまっているのだ、と
凄まじい喪失感に襲われて、車中で倒れそうになったほどだった
この女とではなく
東京駅から坂本久美と伊豆に向かわなければならないのが辛かった
あれほど美しかった坂本久美だというのに…
1999年3月26日の鈴木あづさの頭とともに
この女も終わったのだろうか…
終わったのだろう
それ以前のすべてのものの感じ方
ものの思い方が
すべて剥がれ落ち
流れ去って行ったのだから
“理想の女”
とか
“生涯を賭けるべきでありながら”
とか
“すっかり失われてしまっている”
とか
そんな言語表現をうっかり心のうちで使ってしまう癖も
それに感情を導かれてしまう未熟さも
すべて
鈴木あづさは時どき覚めると
持田香織の歌う
「恋愛のマニュアル 星占いも
「そろそろ飽きたし
「まわりのみんなの変わってく姿に
「ちょっとずつ焦り出したり
「ダイアリー 会える日 しるしつけてる
「なんだか不思議ね
「今まで以上に夢中になれるのは
「夏の魔法のせいかしら
というところで
すこし頭を動かして
拍子を取ろうとしたりする
私はそのあとの
「My Love Is Forever
「あなたと出逢った頃のように
「いつまでもいたいね
「ときめき大事にして
のほうに
もっと
気持ちを揺さぶられるようだった
私にとっての
ほんとうの
ForeverなMy Loveは
いったい
誰でありえるだろうか、と
3月26日
まだまだ明るくなってはこない
歌舞伎町の明けがたの戸外を
大きな窓ガラスごしに
膝の上の鈴木あづさの頭とともに復活した未来のように
見つめていた
Every little Thing : Dear My Friend
Every little Thing : 出逢った頃のように