2018年9月4日火曜日

いつも大きく気流が流れているようでなければ



       よきものは一つにて足る高々と老木の桜咲き照れる庭
                                                                窪田章一郎


若いころは
たぶん
だれもが
どんどんモノを
身のまわりに集めようとし

ずいぶん世慣れてきてからも
いわば
惰性のようなぐあいに
モノ集めや
貯めこみは続き

けれども
じっとりとした感じで
気づきは来る

いくつかのモノに
たっぷりと指の腹を馴染ませ
知りつくし
使い切るには
ほかのモノに囲まれ過ぎていては
いけないのだ

ひとひとりの
所有の能力なんぞというものには
ほんとうに限界があって
器は
とっても
とっても
ちっちゃいのだ

棲みかの
棚の奥の隅々にあるものや
いくつかの押し入れのなかの
モノ
モノ
モノ
使いようのすべてまで
どんな瞬間も
カードにくっきり書き出せるようでなければ
正しい生活とは
いえない

モノと
モノとのあいだに
いつも
大きく気流が流れているようでなければ
正しく生きているとは
いえない



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