神保町の
大きめの川
小さめの川
のような
さまざまな道や路の流れのほとり近くに
住むようになって
日課とまではいかずとも
本好きゆえ
おのずと週課か隔週課のように
古本屋通いをするようになってみると
おのずと週課か隔週課のように
古本屋通いをするようになってみると
人文書籍の膨大な量を
たんなる想像でではなく
まさに物量として
肉眼で見
手で触れる機会が
格段に
多くなる
興味の広い読書子なら知っている
どの著作家についても
どの思想家についても
どのテーマについても
あゝ、なんと
多くの
多過ぎる
研究書や版本や関係書物が
すでに
出されてしまっていることか
それら
厖大な書籍群の
一冊一冊に投入された
著者たちの時間と
生活と
命の
なんという計り知れない質と物量!
そうして
それらに全く見合わない
なんという
世間の側からの徹底した忘却!
心の深くまで眩暈に見舞われて
脚の舟して
住まいに寄せ帰りつく頃には
屋上屋を架す
ということの無謀さ
というより
塵労を
愚かしさを
ふたたび
痛切に学び直している
たゞ風に吹かれ
うつりかわる空を見続けているような
そんなことだけの
無限の豊かさに
人びとは
なぜ
留まっていられないのか
蘇東坡
だったか
人間文字を知るは憂患のはじめなり
と
慨嘆したのは
文字なんか
知らなきゃよかった
文盲だったら
よかった…
などと
これもまた
あまりに多くの先人たちが洩らした
嘆きを
再生機械のように口にしそうになりながら
あゝ
文字を知ったがゆえの盲も
やはり
あるのだな
と
ようやくに
痛切に
気づき出してくる
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