富裕層と富裕層ワナビー向けの商売をやっている人が
地震で生活の乱れている北海道の
仕事上関わりのある人びとのことを心配し
どうしているだろうか
大丈夫だろうか
と上司に話してみたところ
私たちが必要とするのは富裕層だけだから
あんな程度のことではなんの問題もない
と答えてきたそうな
富裕層なら
キャッシュで一億や二億の引っ越し先はすぐに買えるので
たしかになんの心配もない
北海道内でいくらでも住めるところはあるのだし
北海道がダメならどこにでも越せばよい
日本でなくとも
シンガポールでも
ニューヨークでも
どこに行ってもよいし
彼らならすぐに行けるのだから
と
あゝ、まさに
2018年における詩歌や学芸の人びとの核心的問題だな、これは
とわたしは思った
個人の記憶や趣好や感傷や主義的・認識的・思想的差異の
微細な表出にこだわって
自由・平等・ 連帯にもとづく社会創出精神の完全崩壊の21世紀にあって
沈みゆく巨船の甲板のかたすみに閉じ籠もったつもりになって
とにかく周囲に目と耳をふさいで
なにか人間精神の前衛ででもあり得ているかのように思い込む
そんな人びとが付きつけられている
徹底的な格差の現実
おととい
それなりに旨いことで知られたB級洋食店に集まる寡黙な客たちを
ある大学教員が
静かに美味を味わうグルメな人びと
とネット上のブログに書いているのを見た
たしかにその店は
カツレツやカキフライのたぐいの揚げものが旨く
わたしもたまに行くのを楽しむが
しかし吉野家よりも席と席の間隔が狭く
隣席とすぐにも肘が当たるような狭いカウンターに向かって
つねに身を縮めがちにしながら座り
メニューといっては揚げものとカレーしかない洋食店で食べること を
グルメ
などと呼んでしまっては
社会の中にはっきり口を開けている断層をどう認識するのか
この大学教員の
ノーテンキなまでに敷居の低いグルメ概念に
ずいぶん驚かされた
昨夜は三万円のコースのディナーだった
という人に
この大学教員のグルメ話をすると
“自身の所属階層についての無知は
つねに本人の幸福と観察者の驚異と冷笑の源“
と箴言めいたことを言う
そうして
つけ加えた
「三万円ぐらいじゃ、店によるけれど、
「まだまだ、絶対に旨いというほどのことでは
「ないんだよね…
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