2018年10月6日土曜日

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 この長安の都では諧謔が衰微した
 センチメンタルでなければ出世が出来ない
   西脇順三郎
   『天国の夏』(『禮記』所収)



月28日に
『からだのまわりの空気にもこびりついたようになって』
書いた時
松本隆の作詞した《September》を扱って
こう記した

それにしても
そして、九月はさよならの国…”とは
なんとみごとな歌詞
  と
1979年の詞に
いまさらながら驚いて
調べ直してみると

あゝ、松本隆の作詞!

実体験や実感を記しているかのようでも
みんな
言葉はどこまでもフィクションでしかないから
真実なんて
かすめることさえできないから
と思っているので
メモから
記録から
喜怒哀楽さえ
ぜんぶ
しか
書かないように
している

本を読むのが好きな人なら
みな
Ray BradburyThe October Country
を知っている
1955年11月16日に発行され
日本では
1965年12月24日に創元推理文庫版の翻訳が発行されている
そのタイトルが
知らぬ者とてない
『10月はたそがれの国』だ

1979
松本隆の書いた
そして、九月はさよならの国…”
竹内まりやの声で
聴きながら
うまいこと言うなァ…
とは
思ったものの
なァんだ、レイ・ブラッドベリじゃないか
しかも
宇野利泰訳の…
と思い
歌謡曲はパクリばっかりだな
やっぱり
うっすらとバカにして
それでも
竹内まりやは
あんな女の子なのに
ずいぶん大人びた安定した声をしているものだ
若い頃からの若尾文子の懐の大きな声に近いものがある
ちょっとホッとさせられながら
聴き続けた

今にして思えば
「九月はさよならの国」も
「10月はたそがれの国」も
なんとまァ
にっぽんセンチメンタル
レイ・ブラッドベリはたゞ“The October Country”とだけ書き
それだけで
済ませることができてしまう冷たさと辛口さとが
彼の国の
空気にも水にも血にも行きわたっていて
その冷たさと辛口さとが
厚木にもオスプレイを平然と配備し
相模原には防空ミサイル部隊司令部を市に事前通告もなしに配備す

「さよならの」や
「たそがれの」をくっ付けたがるうちは
どこまでも必敗の
にっぽん
いつまでも
どこまでも
さよならの国
にっぽん
たそがれの国
にっぽん

レイ・ブラッドベリ『10月はたそがれの国』は
中年頃から引きこもりになってしまった
叔父が
まだ普通に働いていた頃
中学生になったばかりのぼくにくれた
これはおもしろいぞ
これはほんとにおもしろいぞ
と手渡してくれた
まだ読書界の全容もろくに見渡せていない中学生にとって
これは
フィクションの世界への巨大な吸引口となった
こんなイマジネーションも
有りなのか
すさまじい衝撃だった

同級生の高橋英明に教えると
彼もすぐに読み
レイ・ブラッドベリのファンになった
別の高校に進むと
彼はいっぱいの憧れを抱いてアメリカへの傾斜を強め
レイ・ブラッドベリも英語で読んで
一年間アメリカ留学した
帰国後
しばらくして会うと
すっかりアメリカ熱が冷めていたので
どうしたの?
と聞くと
ぼくさ
アメリカで一年間
なにやってたと思う?
と聞いてくるので
勉強だろ?
英語の勉強とか
アメリカのあちこちへの旅行とか
もうペラペラだろ?
そんなふうに聞き返すと
まあ
そりゃそうだけど
それだけじゃないんだよ
セックスさ
毎晩のようにセックスさ
高校生の男とか女とかで毎晩集まって
酒飲んで
それで乱交するんだよ
毎晩数人とやるんだよ
他の男が射精した穴にもやるんだよ
一晩にぜったい数人とやるんだよ
それが一年間さ
生きた肉が蠢いている中で
じぶんもただの生きた肉になって
それで穴に突っ込んだり
射精したり
もう出ないのにまだ突っ込んだりしてるんだよ
まだ入れてくれって言われるんだよ
それが一年間さ
これがアメリカなんだよ
もういいや
って思ったよ
見過ぎたり
やり過ぎると
もういいや
ってなっちゃうんだよ
好きとか
愛してるとか
そんなんじゃないんだよ
ただやるだけ
はじめはちょっと面白みもあったけど
ただの豚みたいなのにも入れたりしてると
もういいや
って腹の底からなるんだ
ぼくが望んでたのはこういうんじゃないんだけどな
ってゲッゲッゲッとなってきて
日本に帰ってきたら
なんか
解放された
って
心底思ったよ

「それもいい経験じゃないか」
なにに対しても
他人のことにはとにかくコメントして
済ませておく
過ぎ越しさせていく
ことに
していたぼくは
彼にも
「それもいい経験じゃないか」
やはり言って
安いレストランでふたりでなにか食べ続けて
他の話題に移って行ったように思うが
まるで
村上龍の『限りなく透明に近いブルー』みたいだね
と彼に言ってみた時
「あれって
「甘いよ
「センチメンタルだよ
「肉に対するただの肉になり切ってないもん
答えてきたのは印象深かった

そうか
にっぽん
って
それっぽく振る舞おうとしても
肉にもなり切れないで
おセンチなところに留まってしまうわけか
それを思えば
もっとさっぱりと惨殺を重ねた旧日本軍兵士たちのほうが
よほど
なにか日本的センチメンタルなるものを超克しつつあったのか…
などと
ひらめきに近いものを感じそうになるのだった

レイ・ブラッドベリ
だけでなく
マカロニ・ウエスタンへの熱狂も数年間共有しあった
高橋英明
のことまで
思い出しながら
そろそろ終わろうとするこの書きものには
月の記述としては
「9月28日」
「九月はさよならの国」
「10月はたそがれの国」
「1955年11月16日」
「1965年12月24日」
らに
登場してもらった

9月
10月
11月
12月
一年の終わりの4か月を登場させる書きものは
はじめて書いた

ぼくは

私は
「さよならの」や
「たそがれの」を
加えない

ただ
9月
10月
11月
12月
書く

10
11
12
だけでも
いい
思っている




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