2018年10月26日金曜日

こころしていやましてどこまでもバルザック的であるべし



 Le baron Hulot quitta Paris trois jours après l’enterrement de sa femme. 
Onzemois après, Victorin apprit indirectement le mariage de son père 
avec mademoiselleAgathe Piquetard, qui s’était célébré à Isigny, 
le premier février mil huit centquarante-six.
— Les ancêtres peuvent s’opposer au mariage de leurs enfants, 
mais les enfants ne peuvent pas empêcher les folies des ancêtres en enfance, 
dit maître Hulot à maître Popinot, le second fils de l’ancien ministre du commerce, 
qui lui parlait de ce mariage. 
Balzac  « La Cousine Bette »



女は
男が多くのほかの女たちとの交際をやめないので
愛とはなにか
男に問い続け
それは
もちろん
とがめるためでもあったが
不治の病となったとき
男が誠心誠意の看病をして見せ
腫れた脚や足に溜まったリンパ液を
マッサージオイルで手をすっかり濡らしながら
男が揉み流してくれたりするのを見ると
愛とはなにか
という
じぶんの問いかけ方に
根本的なあやまりがあったのかもしれない
気づき出した

じぶんはじぶんだという思いで
ずっと生きてきた女だったが
外から見える
この
じぶん
というスクリーンに
もっと
男の望むものを映し出す必要もあったのか
そのことは
すっかり怠って
じぶんにとってのじぶんばかり
生きようとしてきたのか
そう
思いあやぶんだ

不治の病になってみれば
じぶんにとっても
じぶんなど
確かさのまるでない
幻影で
じぶんにとっての
じぶんなど
いまのじぶんにとって
どうでもよかったと
つよく思われた

じぶんが
外から見えるスクリーンに
ついに
映さないできてしまったものを
男は
ほんとうに切実に求めていたのだったか
悔いた


…………………………………………


しかし
これでは通俗ドラマの浅薄な心理分析のようになってしまう

男がほかの女たちに求めたのは
たんに
物質的なパーツだった
精神や
心理
それもふくめての物質的なパーツ

ちがう手のひら
ちがう足首
ちがう唇
ちがう髪の毛
ちがううなじ
ちがう乳房
ちがう背中
ちがう腹
ちがうまぶた
ちがう体臭
ちがう言葉づかい
ちがう外陰部
ちがう耳たぶ
ちがう悶え
ちがうストローのくわえかた
ちがう…

物質的な、あまりに物質的な
収集的な、あまりに収集的な
分裂的な、あまりに分裂的な

男は
女の死んだ後
女と生きた街を歩き続けながら
この頃
“わかれても 好きなひと…”
女も知らなかったほど古い歌謡曲を鼻唄しているが
もちろん
死にわかれても
という意味で鼻唄しているわけではない
歌詞のいちいちになど
男は
男的なるものは
拘泥
など
しない

もちろん
女は
女的なるものは
なおさら
拘泥
などしない

過ぎたものは
まだ生き延びている者の意識から消え去りはしないが
存在のありようは変わる
いま目の前にいてYesと言ったりNoと言ったりする変圧器的なものとは
すっかり勝手が変わってしまう
だけ

「ユロ男爵は、妻の葬儀の三日後にパリを離れた。
  11か月後、ヴィクトランは、父がアガタ・ピクタール嬢と結婚したことを、よそから聞き知った。婚礼は、1846年、イズィニィで上げられた。
『老人たちは彼らの子や孫らの結婚に反対できますがな、子や孫らのほうは、耄碌した老人たちのやりたい放題を止めるわけにはいきませんからな』とユロ師は、元商務大臣の次男のポピノ師に言った。この結婚のことをヴィクトランに語ったのは彼であった。」

バルザック、『従妹ベット』大尾



    教訓

  平成も終わる
  いよいよの泥沼の世には
  よい子諸君よ
  こころして
  いやまして
  どこまでも
  バルザック的であるべし





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