2020年10月8日木曜日

吉野秀雄の『含紅集』

 

 

手術後の湯治に行くと目覚ましの時計鞄に入るる妻あはれ

 

金借るは苦しかりけりむきだしの紙幣(さつ)を抛るがごとく渡さ

 

 じっくりとは読んでいなかったので

 吉野秀雄の最後の歌集『含紅集』をゆっくり進めているが

 やはり

 いい歌が多い

 

空席もなく立つ人もなき夜汽車に安らぎ見えて年立たむとす

 

われ死なば靴磨きせむと妻はいふどうかその節は磨かせ下され

 

 というより

 精神のありようが

 歌そのものに染まり切った人のことばは

 どれも

 歌であることを外れない

 

老い樹黒く枝の小枝の先ざきもくれなゐにほふ高遠桜

 

病危ふかりし去年(こぞ)のいま頃ぞ辞世まがひの愚か歌残る

 

 生涯多病だった吉野秀雄は

 気管支性喘息

 肺炎

 糖尿病

 リウマチ

 心臓喘息

 などに苛まれ続け

 つねに貧困のうちにあったともいい

 65歳の人生を

 よくもまぁ

 苦しみつつも

 文に歌に書に精励した

 と感心する

 

みづうみの魚は食ひ得ず親子丼あてがはれ一浴して諏訪を去る

 

老いの眼は風にも涙湧きやすしまして刺す如き秋の夕風

 

 糟糠の妻を胃癌で亡くしてから

 四人も子があったものだから

 八木重吉の未亡人とみに手伝いに来てもらい

 やがて再婚することになったが

 この時にとみは八木重吉の遺稿を渡し

 以後

 吉野秀雄が八木重吉の価値の普及に努めることになる

 

六十を老いとせねども若きより病み病みて重ね得し齢なる

 

病むわれを見に来し友は今朝の富士の裾まで雪にかがやくを言ふ

 

 いうまでもないが

 良寛の普及に努めたのも

 吉野秀雄であった

 

わが死後は間借しなどして暮せよとはかなきことを今日洩らしけり

 

臥処より首もたげ舞楽右舞左舞のテレビのぞくも命なりけり

 

病をも死をも売りものにはせじと無理して書けばフイクションに似

 

便の始末してもらふ妻は尊けれその都度あたま下げて礼言ふ

 

静脈の注射するにもこのごろは場所なくなりて指の股に射す

 

垢のため血管わかぬ手の甲を湯タオルにごしごし拭きて注射す

 

 自分の宿命を

 次のようにも歌うものの

 

よき事も限りありとかわが悪しき運も極まりあるを恃まむ

 

   生涯

 毀誉褒貶の場たる

 そこはそれ

 権力争いの山猿たちの狭小の場たる

 歌壇とは

 関わりを持たず

 おそらく

 鎌倉アカデミアで得た知己だけを中心として

 歌人と認められた吉野秀雄にも

  悪しき運

 ならぬ

  よき運も

  やはりあったと見なければならないだろう

 

さらさらとして淡雅なる趣きをわれは好めど世の移りけり

 

われ死なば山崎方代かなしまむ失恋譚の聞き手失くして

 

サルトル氏の講演は切抜かせおきたれどつぶさに読まむ力最早なし

 

足萎へのわれは車に運ばれてかもかくも春の草に置かれぬ

 

今日妻と喜びしこと挿入便器(さしこみ)の中のわが物よきを覗きて

 

一生はただ刻刻の移りなり刻刻をこそ老いて知りつれ






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