2020年10月14日水曜日

そうかもしれぬ。そんな気もする。

 

送られてくる同人雑誌や原稿の山を捨てあぐねて

風呂の火を熾す焚きつけに使ってみたら

なかなかよく燃えて

いい使い道を見つけたと

むかし

小林秀雄が書いていた

 

小林秀雄を超えたレベルの作品も

焚きつけに使われた原稿の中にはあったかもしれない

小林秀雄のこの“上から目線”は

どういうふうに形成され保証されるに到ったか

そんなことを

小林秀雄全集を読んでいた頃の

高校生時代によく思った

 

評価者の出現と居座りというのは

いつもいい加減で偶然によるものだ

文芸作品も批評も商品でしかないから

売れそうなものを自社と自分の席を確保したい者が選び

豪勢に宣伝費をかけて騒ぎ立てて売る

商品としてはそれでかまわないが

文字商品はすぐに文化的価値云々を主張しはじめるので

だんだんと問題を起こしていくことになる

 

売れる作品をついに書けなかった者が批評家になり

批評家にもいろいろ上下があるが

上の部類は自分の好きな研究じみたことをするようになって

結局新人発掘は下の部類の批評家(たいてい大学教員)の仕事になる

本だけはどんどん読むしだんだん読まなくなるが見るだけは見るの

下の部類の批評家はなにやかやわかったフリはうまく

新人たらんと原稿を送ってくる人に毀誉褒貶するのには長けている

所詮自分の好みや自分の言うことを将来聞きそうかという

曖昧模糊たる判断基準を持っているだけのことで

中には新人が自分の愛人になるかどうか気を揉む輩もいるが

いずれにしても正当とか真っ当とか確かなとか

そんな選択眼などやはりありようがないので

十人以内程度の批評家に任せておくと未来の文芸はお新香になる

 

そんな場所に接して十年ほど過ごしたことがあったが

いわゆる団塊の世代が批評家や撰者をやっていた頃でそれはそれは酷かった

能力はあるのだがあの硬直した貧乏たらしい趣味は一体なんだったのか

中上健次はいつまでも神に仕立て上げておこうと必死で

売れている村上春樹には一切の否定的言辞を禁じられて頭が上がら

それでいて春樹全否定の蓮実重彦にも頭が上がらないものだから

団塊の世代の文芸は始終どっちつかずでちまちましていた

バブルとその崩壊後のお祭り騒ぎを批評もできずに

その騒乱の渦にたくみに乗って自分の地位を築くばかり

そういう連中が選びに選んで絶賛する新人たちは

もちろんひと頃は読書界で話のネタになり続けるものの

いかんせん一般の読者が全く食いついてこないものだから

大学周辺の学生・教員向け書店のさびしいスチール棚以外には置こうともせず

ほぼ一年以内に書名も著者名ももう誰も覚えていない始末

 

どちらにしてももう総崩れになった団塊の世代文芸の

唯一の勝ち残りの村上春樹にしたところで

カティーサークとかコンバースとかノーネクタイとかは色褪せてしまって

もうオジイサンたちの懐かしの作家でしかなくなっている

大江健三郎が消えた後の無名化ぶりの速度は凄まじかったが

村上春樹の場合の燃え尽き速度はどの程度まで出るか

結局勝ち残るのは小林秀雄なのかもしれず

ポストモダン云々と天下を取ったように偉ぶっていた人々は

亡霊としてさえ夕闇に染み出てくる気配さえない

そうかもしれぬ。そんな気もする…とか

万三郎の大麻を見た…とか

美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない…とか

そんな言い放ち方でしか生き残れないのがこの国かもしれない





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