2020年10月14日水曜日

行くよ 行くよ 行ってしまうよ




I exist as I am, that is enough.

Walt Whitman

 

 


わたしに自由詩形を貸してくれた詩形界に感謝する

わたしが自由詩形を使って

ことばのゴミ塊を大量に拵えたりしてきたのも

そろそろ終え時

おお 詩形界どの

なんと寛大であったことか

ほんとうに

感謝のことばしかない

 

自由詩形を使って

ほんとうに詩と呼ばれるべきものを作りうる人もいて

そういう人はなるほど詩人と呼ばれるべきなのだろうが

わたしの場合はそれには当てはまらない

あゝ 詩人とはどのような人であろうか

ボードレールは詩人だがアポリネールが詩人だったかどうか

わたしはちょっとあやしい気もしている

コクトーなどは詩人体質だがかなり詩人の名にふさわしくない気がする

悪いけれどビート・ジェネレーションには詩人は皆無だった

シュルレアリストたちにもほんとうの詩人はいないだろう

ラフォルグなどは再三読み込もうとしたがそれほどたいした詩ではない

ランボーは素晴らしいが詩として素晴らしいかというとどうかと思

マラルメは凄いがあの埃臭い世界にはじつは耐えられない

それにくらべれば堀川正美なんかの気持ちよさはどうだろう

よほど欧米の金金キラキラ詩人たちを超えてしまっている

あ アメリカにはホットマンがいて

あれはほんものの詩人だ

あれ以外にはいないかもしれないというほどに

 

とまれかくあれ自由詩形など借り受けて

詩もどきなど書いちゃってみているうちに人生時間を浪費してみる

人生のはかなさはまともにカタギで生きた人々よりも沁みる

谷川俊太郎みたいに売れなかったらなぁんにもしなかったことになるので

なぁんにもしなかった系であることを真正面から受けれなくてはいけない

吉増剛造は谷川俊太郎に勝とうとして単語並べの物量作戦に出たが

書けば書くほどふつうの人々に読まれなくなる道をあそこまで行く

人々がふと口ずさむような日本語の詩歌からは絶望的に遠ざかってしまう

図書館にはそりゃあいつまでも埃を被って並ぶのだろうし

インテリぶり屋さんたちが吉増剛造特集をインテリ雑誌で時々やっ

詳細な読解ぶりを披露して競い合うだろうけれども

そんな特集も実売高は200も行かずに

2週間もすればシュレッダー行きにほとんどの雑誌がなってしまう

そういう扱いを受ける言語物がはたして詩なんだろうかと

北原白秋の童謡なんかを口ずさむと執拗に思われてならない

 

雪の降る夜は 楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ お話しましょ
昔むかしよ 燃えろよペチカ

 

あるいは あゝ「からたちの花」なんかも

 

からたちの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ。

からたちのとげはいたいよ。
靑い靑い針のとげだよ。

からたちは畑の垣根よ。
いつもいつもとほる道だよ。

からたちも秋はみのるよ。
まろいまろい金のたまだよ。

からたちのそばで泣いたよ。
みんなみんなやさしかつたよ。

からたちの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ。

 

からたちのそばで

泣いたよ

みんな

みんな

やさしかったよ

ついに

歌えなくなってしまった自由詩形が

死屍累々となって

 

読まれることのない

つぶやかれることのない

鼻歌されることのない

二十一世紀が

なんだか

坂を転がり落ちていくように

行くよ

行くよ

 

進んでいく

のとは

ちょっと違うかんじで

 

行くよ

行くよ

 

行ってしまうよ





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