2023年8月6日日曜日

妙な小津安二郎一辺倒になってしまわないために せめて

 

 

 

アグファはいいね。これは大したもんだ。

だが、赤にもおよそ十種類ぐらいある。

この十種類が段階をつけて出せるかと云うと、

まだ、そこまでは行っていないね。

もちろん赤は出る。

しかし映画をつくるわれわれが思っている赤ではない。

小津安二郎の『彼岸花』撮影時の証言

(『キネマ旬報』19588月下旬号、48ページ)

 

 

アグファに限らず、各フィルムに特徴がなくなったのは、現像のせいです。

どこでも現像できるためにはEKのスタイルにするしかない。

そのためにフィルムの個性が失われてきた。

昔は、アグファ、EK、イルフォードと

作品内容でフィルムを変える楽しみがありましたが、今はない。

宮川一夫「映画撮影とは何か」

(『キネマ旬報』19588月下旬号、114ページ)

 

 

 

 

小津安二郎は

1962年に『秋刀魚の味』を作り

これを最後の作品として

1963年に死んだ

 

古い日本映画を

まったく見たこともない若者たちに

小津安二郎のこの最終作までを紹介していると

思いや評価のしかたは

各人

それぞれだが

あの時代に

とにかく名監督小津安二郎ありき

今となっては

他の監督たちなど見る必要もなし

といった思い方に

いとも簡単に多くが陥っていくのが見え

映画史を歪めるような

罪作りなことをしてしまっているナ

と反省する

 

そうして

小津安二郎は特殊な撮り方をした監督で

同時代には

現在の映画やドラマにそのまま繋がってくるような

もっと自然な

もっと生き生きした撮り方をした

名監督たちがいっぱいでしたよ

ぜひ見てみてください

と付加しておく

 

妙な小津安二郎一辺倒になってしまわないために

せめて

以下のものぐらいは

見ておいてほしいのに

まったく見ていないのだ

令和の若者たちは

 

絞りに絞って

ごくごく少ない本数でも

溝口健二『残菊物語』(1939)も

『雨月物語』(1953)も

『祇園囃子』(1953)も

『山椒大夫』(1954)も

本多猪四郎『ゴジラ』(1954)も

木下恵介『日本の悲劇』(1953)も

『二十四の瞳』(1954)

『笛吹川』(1960)も

市川崑『青春怪談』(1955)も

『大平洋ひとりぼっち』(1963)も

川島雄三『州崎パラダイス』(1956)も

『幕末太陽傳』(1957)も

『女は二度生まれる』(1961)も

中平康『四季の愛欲』(1958)も

滝沢英輔『國定忠治』(1954)も

『しろばんば』(1962)も

浦山桐郎『キューポラのある街』(1962)も

熊井啓『帝銀事件 死刑囚』(1964)

『日本列島』(1965)

内田叶夢『飢餓海峡』(1965)も

西河克己『青い山脈』(1963年版)も

『四つの恋の物語』(1965)も

見ておいてほしいのに

 

少なくとも

これらを見ていない若者たちに

小津安二郎だけ見せるのは

あまりに偏った戦後映画観を植え込んでしまう

かなり洗脳めいた

犯罪っぽいことだと

やはり

感じてしまう

 

『東京物語』(1953)と

ほぼ同時に

本多猪四郎『ゴジラ』(1954)が製作されていたばかりか

『雨月物語』(1953)も

『祇園囃子』(1953)も

『山椒大夫』(1954)も

『日本の悲劇』(1953)も

『二十四の瞳』(1954)

同じ空気の中で作られており

これらを一度に見直すことででも

小津安二郎のあまりの特殊性に驚愕することになろうし

彼のあまりの異常さに震えが来そうにさえなるだろう

小津安二郎をスタンダードにして

あの時代がわかったつもりになってはいけないのだ

あの頃の日本人がわかったつもりになってはいけないのだ

あの時代の映画がわかったつもりになっては

まったくいけないのだ

 

小津安二郎のいくつかの代表作を

令和の今

ちょちょっと見て

昭和のあの時代はあんな風だったのだな

みんなあんなのんびりしていて

娘の結婚のことを初老の父たちは悩んだりして

しゃべり方もゆったりしていて

いい時代だったなあ

などと

若者に思われてしまうのは

つらくて

ひどくて

本当にイヤになってしまう

 

小津の『晩春』や『麦秋』や『東京物語』をはじめて見る若者たちには

抱き合わせで

『日本の悲劇』(1953

『ゴジラ』(1954

『二十四の瞳』(1954)

『青春怪談』(1955

『州崎パラダイス』(1956

『しろばんば』(1962

『キューポラのある街』(1962

『日本列島』(1965)

『飢餓海峡』(1965

なども

義務的にでも見させるようにしないと

戦後の日本と日本人のイメージの伝承において

とほうもない間違いを犯していくことに

成りかねないと思う

 

『日本の悲劇』

『ゴジラ』

『二十四の瞳』

『青春怪談』

『州崎パラダイス』

『しろばんば』

『キューポラのある街』

『日本列島』

『飢餓海峡』

などが必死で日本社会から収集し

まとめ上げ

映し出し

語り伝えようとしたものを

全面的に消去し

無視し

なかったことにしたところに

小津安二郎の戦後代表作は

形成されたのだから

 

『怪物』などは

はやばやと忘れ去り

『バービー』や

『君たちはどう生きるか』ぐらいには

わずか

好奇心のアンテナを立てるが

子供の人身売買の実情に迫ろうとする

『サウンド・オブ・フリーダムー自由の音ー』などについては

そもそも情報自体が入ってこない

構造的なニッポンジン耳やニッポンジン目となっていて

『オッペンハイマー』なども

どんなにアメリカ世界支配教本舗が宣伝しようと

え?原爆?関係ないかも?で

たぶん最初から見えないことにする一方

小津安二郎のいくつかの代表作を

令和の今

ちょちょっと見ては

昭和のあの時代はあんな風だったのだな

小津安二郎っていうのは

こんな感じなのだな

カメラを低く設定して

俳優をよく正面から撮って

そういうの

小津調っていうんだよね

みたいに

ホイホイ

サッサと

雑学として処理していく

令和の若者たちには

ひょっとして

一見甘ぁく

『二十四の瞳』

『青い山脈』(1963年版)

あたりを

間違ったように

ヒョイと見せてしまうのが

いちばんの

得策かもしれない

 

すこし堪え性のある若者には

次に『キューポラのある街』(1962

を見せてみるとか

 

木下恵介の『日本の悲劇』(1953)は

はじめのうちは

まず

見せられないな

戦後の日本映画が

一発で

大嫌いになってしまう

同じ1953年製作なら

小津安二郎の『東京物語』のほうが

よほど戦後映画好きになる

 

木下恵介の『笛吹川』(1960)も

戦後映画に慣れないうちは

滅多なことでは

見せられないだろうな

人間というものや

この世というものが

大嫌いになって

陰々滅々とした生涯を

送っていくことに

なりかねないから

 






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