2023年10月28日土曜日

アルベール・ベガンのフローベール批判

 

 

 

文芸批評家アルベール・ベガンは

バルザック論の中でフローベールをこっぴどく非難している

 

とりわけ文体については

フローベールの

「いつも同じような三つの律動的文要素からなる文章と

予期したとおりの結句を

果てしもなく繰返すこの偏執ともみえる完璧さ」

比較される場合

バルザックの「おどろくほど自由な用語(ラング)が

不完全なものと断じられる」

と批判している

 

ベガンが拠りどころとするのは

文芸批評家アルベール・ティボーデの著書

『ギュスターヴ・フローベール』(A. Thibaudet : Gustave Flaubert, 1935)の中のフローベールの文体論である

 

 

ティボーデによれば

演説調を基調とするフローベールの文体が

理想的なリズムと諧調に達する時

長短の秩序によって配合された三つの文要素 (membres)

綜合文(une période) を構成する

 

 『ボヴァリー夫人』にその傾向が著しく

ティボーデは

一例として次の文を引用している

 

 Le souvenir de son amant revenait à elle avec des attractions vertigineuses (1); elle y jetait son âme, emportée par un enthousiasme nouveau (2); et Charles lui semblait aussi détaché de sa vie, aussi absent pour toujours, aussi anéanti que s'il allait mourir et qu'il eût agonisé sous ses yeux. (3)

 

ベガンは

この引用箇所について

「概括的に見ても

この場合

1:1:2の比率が窺われる」

としている

 

たしかに

文要素 (membres)

それを合わせての

綜合文(une période) 構成のしかたにおいて

フローベール基準とする必要はないわけで

もしバルザックのいっそう自由な文構成のしかたを基準とすれば

フローベールは

狭い形式性に囚われたリズムの指向者に

過ぎないことになる

 

 

 

*引用箇所は『真視の人バルザック』(アルベール・ベガン著、西岡範明訳、審美社、1973)によった。原著は、Albert Béguin : Balzac visionnaire, Ed.Skira, Genève,1946)






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