「この国」に自分の家がある。
「この国」はどうも、自分の国ではないらしい。
しかし、「この国」にしか自分の家はない。
リービ英雄 『満州エクスプレス』
日本人の10才の男の子が
中国南部・広東省深圳市で刺されて死んだが
もちろん
SNS上では大騒ぎとなっていた
日本人側の書き込みでは
中国人は日本人を敵視していて
機会あれば傷つけたり殺そうとしたりしている
といった意味のものが多かったし
中国で行われている反日洗脳としての
反日教育の実情を挙げているものもあった
昔の抗日戦争期を扱った映画には
日本軍が残虐なしかたで中国人を殺すシーンがふんだんに盛
それを小学校で生徒たちに見せるのだから
日本人なるものの本質は映画に見られるように残虐で
けっして油断してはならない
いずれは殲滅し尽くさねばならないと
幼い中国人たちは自然と教育されていく
だから日本人は中国人に油断してはならない云々と
そういった論調のSNSも多かった
元駐オーストラリア大使の山上信吾なども
今回の事件が中国における長年の「反日教育」の結果とし
「ひとりの日本人児童の貴重な命を奪った」とXに書き込んでいる
これにたいして中国のSNSでも
日本人の男の子を殺した犯人を讃えるものが多かったとか
逆に哀悼の意を表わしている中国人も多かったとか
そうかと思うと
深圳市に住んでいた日本人によれば
反日の雰囲気を感じたことは一度もないとか
いろいろな書き込みがいっぱい出ていて
本気で真相を知ろうとするならば
少なくとも日本人側と中国人側の数百ほどの書き込みを集めて
しっかりと内容を読んでみた上で数値化してみないと
最低限の正確さは得られない状態と見えた
どこの国籍の10才の男の子であれ
腹を刃物で刺されて死に至ってしまえば悲惨な大事件というべきで
これは日本人であろうが中国人であろうが違いはない
中国での反日教育なるものがどの程度のものか実地で見ていないけ
反日教育のようなものが実施されてきた現代の中国で
10才の日本人の男の子が殺されたとなれば
中国で為されている反日教育のせいだとか
空気の中に漂う反日の風潮のせいだ
と言いたがる日本人が現象としては出て来がちになる
しかしそれでは日本国内で日本人の男の子が
同じように日本人から刺されて死ぬような事件はないのかと言えば
あり得るわけだし現にいろいろな犯罪事件が起き続けている
日本で外国人の男の子が殺されるケースもあるだろう
中国人に日本人の男の子が殺されたのは事実だとしても
だからといって「日本」と「中国」
このふたつの観念をぶつけてもなにかうまく解決するわけでもない
これは思考の手続きに関わることだからだ
もちろん6月にも東部・蘇州市で
日本人の母子が刃物で襲われる事件があったのは覚えているし
北東部・吉林省ではアメリカ人の大学講師4人が
やはり刃物で襲撃される事件があったのも覚えている
これらをあわせて見直そうとすれば
やはり中国人の心にある排外的な気持ちが犯罪を引き起こしている
と考えてみたくなりはする
とはいえこれではあまりに少ない事件数であって
中国人一般に殺人に至るまでの排外的な気持ちや
同じように殺人を引き起こすまでの反日感情が浸透しているとはい
今回の事件が起きた9月18日はちょうど柳条湖事件の日で
中国側から見れば「国恥日」である
関東軍高級参謀板垣征四郎大佐と
関東軍作戦主任参謀石原莞爾中佐が首謀し
関東軍の一部隊である奉天虎石台駐留の独立守備第二大隊第三中隊
河本末守中尉ら数名の日本軍人が
1931年9月18日
中華民国遼寧省瀋陽市北方約7.5キロメートルにある柳条湖付近
南満州鉄道の線路を爆破によって破壊した
満州侵略を正当化するための謀略による偽装爆破で
日本国内においてさえ第二次世界大戦が終わるまでは
張学良ら東北軍による犯行と信じられていた
中国との14年にわたる戦争の引き金となった事件だった
10才の日本人の男の子を刃物で刺した中国人は
当然ながら柳条湖事件を意識していただろうし
みずから中国なるものの国体に成り変わったつもりで
日本人の男の子に突き刺した刃先に
柳条湖事件への復讐の念を込めていた可能性はありうる
93年前の「中華民国」に対する「大日本帝国」
なにを愚かなことを!
と現代の一般的な生活感覚からは思うことが多いだろうが
そう思うことが「多いだろう」というだけのことで
どんな時代にもどんな状況下であっても
必ずそこから洩れたり逸れたりする意識の持ち主というものがある
『罪と罰』のラスコーリニコフや金閣寺を焼いた若き学僧林承賢は
そうした意識の流れに乗って動いていった例といえる
こういう人間たちにとって過去はつねに共時性のもとに
ありありと現在として生きられている
柳条湖事件は2024年9月18日に起こった事件でもあり
起こりつつある事件でもあれば起ころうとしている事件でもあって
これを起こさないためには日本人の身体に襲撃を加えねばならなか
キリスト教においてパンがキリストの肉となり
ワインがキリストの血となるように
どこの誰であってもいいひとりの日本人の肉体が
柳条湖事件を起こしつつある「大日本帝国」
わかるでしょ、日本人なら?
だって「象徴」、大好きだものね
と中国人刺殺者は思ったかもしれない
93年前に遡ってみたのだから
ついでにもうちょっと中国を遡ってみようか
民衆の反乱が続き白蓮教徒の乱なども起こって
18世紀には清は混乱状態にあったが
19世紀に入って30年代にアヘン貿易の取り締まりに乗り出すと
植民地化の機会を窺っていたイギリスはアヘン戦争を仕掛け
1842年の南京条約で香港を奪い取り
不平等な条件のもとに五つの港を開港させた
アメリカとフランスも同様に清に開国を迫り
1844年には清は屈服する
こうした帝国主義諸国の圧力で民衆の負担は増大し
1851年に太平天国の乱という大蜂起が起こる
上帝会という宗教結社を作った洪秀全が
土地の均分や男女平等や租税軽減などを実現すべく
理想の国である太平天国を作ろうと呼びかけたもので
満州族の清を滅ぼして漢民族の国を作ろうと「滅満興漢」を掲げて
1853年に南京を占領して天京(テンキン)とした
清は1864年にイギリス軍の応援を求めてこれを鎮圧するに至っ
蘇州では8000人を虐殺し
最後の天京攻防戦の後には20万人を虐殺した
こうした内戦のかたわら1856年には
イギリス船籍アロー号の国旗が
清の官憲によって引き下ろされたことに端を発するアロー戦争が起
1860年に北京が占領されて北京条約が結ばれる
イギリスやフランスが不平等な条約を結ばせて清に食い込んだのを
さらにロシアやドイツや日本も清を侵蝕しつつあった
ロシアは17世紀にシベリア開拓を進めて
1689年にネルチンスク条約を結んで通商を開いていたが
1858年にアイグン条約を結んで黒竜江以北を獲得し
1860年には北京条約で沿海州を手に入れて
ウラジオストークに港を開いた
日本は1874年に台湾に出兵し
1875年には朝鮮に侵入して
甚だしい不平等条約である日朝修好条規を結んで朝鮮を開国させた
1894年に農民蜂起の東学党の乱が起こると
これを機会にふたたび朝鮮に出兵し
同様に農民蜂起を鎮圧しに出兵してきた清と衝突して日清戦争とな
この戦争に勝った日本は台湾や遼東半島を獲得するが
ロシアとドイツとフランスから三国干渉を受け遼東半島を清に返還
しかしその遼東半島をロシアが租借することになり
ドイツも1898年には宣教師殺害事件を口実に膠州湾を租借
イギリスとフランスも威海衛や九竜半島や広州湾を租借した
鉄道の利権もこれらの国々によって分割された
アメリカは中国に対しては出遅れたが
1899年に門戸開放や機会均等を要求し
中国領土や利権の仕切り直しを執拗に求める
こうした危急存亡の事態の中で中国では
ヨーロッパ文明を取り入れて近代化を図ろうとする洋務派も出たが
排外主義勢力のほうが力を持ち
1900年に「扶清滅洋」
北京の外国大使館を包囲するが
ヨーロッパ各国は共同出兵して北京を占領し
1901年に清は屈服して巨額の賠償金を払わさせられ
外国軍の駐屯も認めることになった
この後では清朝反対運動が激化することになり
民族独立と民権尊重と民生安定の三民主義を唱える孫文が
中国同盟会を1905年に東京府池袋で組織して
清朝打倒を呼びかけることになる
日本留学中の蒋介石とも池袋で会ったという
1911年の鉄道国有化問題から広がった暴動で
ほとんどの省が清朝から独立し
1912年1月に反清朝派が南京に集まって中華民国樹立が宣言さ
孫文は臨時大総統となった
これを倒すべく清は袁世凱の軍隊を派遣するが
袁世凱は中華民国と取り引きをしてしまい
自分が大総統となる条件で清朝の皇帝を退位させてしまう
この辛亥革命によって清朝は滅亡したのだが
袁世凱は必要なはずのさまざまな改革を阻み
各地に軍閥が起こって戦いあう事態となっていく
ここまでザッと見てくれば
後は20年ほどで柳条湖事件に至ることになるのだが
それにしても
あの広大な中国大陸における
長い長い時間にわたる
なんという民族的主権の喪失であろうか
なんという長期間のアイデンティティーの喪失であろうか
このことをわずかながらも見た上で
関東軍が謀略した柳条湖事件も満州国建国も
見直し考え直すのは
日本人に課せられた歴史観的義務というべきものだろう
ひとは一瞬たりとも
なんらかの歴史観や世界観を持たないかぎりは
自己の精神の現在を生きることはできない
歴史観的義務と言ったのは
歴史観を持つ上での必要最低限の手続きということである
人間はある程度以上歳を重ねると
地球上のどこの文化であれ
国であれ
国民であれ
黙って見つめてみれば
自分がたまたま属してきた文化や
国や
国民を見るのと同じように
親しさを感じ
愛おしくもなってくるものではないか
ひょっとしたら
自分が属していたのかもしれない文化や
国や
国民として
あり得たかもしれない祖国として
故郷として
すべての文化や国や国民は見えてくるものではないか
地上のどこにも
まこと同じような苦労があり
喜びがあり
生活の工夫があり
悲しみがあり
嘆きがあり
夢があり
希望があるものだと
どこの文化や国や国民を見ても
あたりまえに思い描くものではないのか
乱世につぐ乱世の末に
植民地時代の欧米の帝国主義の餌食にされ尽くした中国の歴史を
ほんのすこしでもふり返ると
柳条湖事件から90年経った程度で
地球上で最大の力を持つ国家に現在なっていることが
人類史観察者の目には
驚くべき慶事と映り
壮観でさえある
たかが100年もしないうちに
これほどまでに様相は変わってしまうものであり
世界は変わってしまう
と知るのは
この地上で学べることの中でも
最大のことのひとつと見なしていいだろう
わたしたちは
ヘロドトスやトゥキュディデスの認識を共有するのだ
クラシック好きのわたしは
世界のどんな国であれ
そこでなされる演奏を聴けば
自分の国がそこにもある
と感じてしまう
音楽はどんな言語よりも雄弁な共通語であり
ひとつの音楽作品に
その国の演奏家や指揮者や
聴衆がどのように向きあっているか
振舞っているか
それを見れば
そこにわたしの国がある
いま居る場所が滅びてもそこに行って暮らすことができる
と確信している
中国におけるクラシック音楽受容のありようは
たとえば現代作曲家マックス・リヒター(Max Richter)の
“November”を
ヴァイオリンのMari Samuelsenと
Long Yuが指揮する上海交響楽団とがどう演奏したかを聴けば
一目瞭然にわかる
つまり現代中国社会の質の高さは
一目瞭然にわかる
ということだ
https://www.youtube.com/watch?
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