どんな夢より
こちら側が現実なんて
大まじめに断言できる人は
やっぱり信じられない
むこう側こそが
本当の現実だなんて
言い張りたいわけでは
なくって
むこう側の
あれだけの現実っぽさを
どう考えたら
いいのか
それを
背負い込み続けるのが
本当に生きる
ということと思うだけ
詩人だと自称している人や
数人で寄り集まって
あなたは詩人だ
いや、あなたこそ
じゃあ、われわれは詩人ってことですかね
なんて
呼びあっている人たちを
ときどき目にするが
楽じゃないだろうなぁ
ろくに詩なんて読まない
ふつうの人たちや
昔からの詩の流れなんて知らない
ふつうの人たちや
むずかしいこと言われると
どうしていいか
わからなくなっちゃう人たちに
楽しいなぁ
じんわりするなぁ
詩だなぁ
と
思われるものばかり
つづけざまに
ばん
ばん
ばん
ばん
書かなきゃ
とてもじゃないが
詩人なんて
自称できないはずなんだから
楽じゃないだろうなぁ
ひととおり
人間が表現することは
みんな試してみた
そして
飽きた
たとえば
なにかを問題視すること
そうして
それを解決しようとすること
そういうことに
飽きた
から
たとえば
なにも問題視しないこと
そうして
解決しようともしないこと
それもやってみて
これにも
飽きた
豊饒の海だ
たぶん
いま居るこのあたり
他人の否定は
しないほう
趣味
夢
好み
ポリシー
主義
なんかも
否定
しないほう
でも
つまらない人には
あからさまに
近づかないほう
アタマがよかろうが
高邁な理想を掲げていようが
つまらなくて
つまらなくて
どうしようもない人
いる
いる
いる
そういう人には
あからさまに
近づかないほう
ぼくひとりで
勝手に
つまらない
ホントつまらない
そばに寄ると
古紙をくしゃくしゃ噛まされるよう
平べったく乾いた馬糞の上で
腕立て伏せを
させられるよう
と思っているだけだから
気にしないでね
きっと
間違っているんでしょう
ぼくのほうが
でも
そんな
勝手な間違いに
ぼくひとりもとづいて
つまらない人には
あからさまに
近づかないほう
ぼくにとって
だけ
であれ
つまらない人には
あからさまに
どこぞの
戦争や支配の大好きな国が
親玉を取っかえて
がたがた
ぶつくさ
ごたごた
騒がしいようだが
誰が親玉になろうと
あれは
悪で固めた国柄
カツアゲだの
強請りタカリだの
胴元だけ儲かるしくみ作りだの
支配の
ありとあらゆる手管を
また新たに
打ち出してきて
世界から
ちゅるちゅる
ちゅるちゅる
政治だの
社会だのには
これ以上ないほどの
シニシズムのメガネをかけて
向うしかない
いつも
夢
希望
変革
明るい未来
今度こそ
イエス、アイ・キャン
そんな言葉を
幾層もの手堅い根拠も準備せずに
複数のプランも拵えておかずに
朝三暮四でどうだとばかり
安手のチラシ広告なみに
ひらひら
へらへら
使っているばかりじゃないのかと
くっきり見える
シニシズムのメガネをかけて
植替えのために
楓を鉢から出すと
根は鉢の裏側に沿って
密に
密に
絡みあい
めぐりめぐっていて
古くなった土を
なかなか
離そうともしない
鉢の底の小石も
網も内側に巻き込んで
園芸植物とは違う
木というものの強さや
生育への執着は
これほどのものなのか
と驚かされる
まだ身近に
居てもらいたいので
大きすぎる鉢には移さず
これまでのものより
ほんの少しだけ大きめの鉢に
植替える
今年の紅葉が
もう少しだけゆったりと
もう少しだけ綺麗に
なるようにと
ほんの少しだけ大きめの鉢に
植替える
占いの名人から
その死に際
力をだいぶ譲ってもらったものの
ひとつ占うのに
かなりの集中と時間を要するものだから
あまり占いはしない
ただでさえ
自身については
かなりブレるのが常だから
ほとんど
しない
しかし
ひさしぶりに
今後のじぶんはどうなるのか
占ってみたら
無
とだけ出る
これから何が起こるか?
無
これから自分はどうなるのか?
無
この結果は
もちろん
死を意味することもあるから
現在のことを聞いて
確かめてみる
いまの自分は?
無
これまでの自分の生の価値は?
無
生まれて良かった点はあったか?
無
見事なまでに
無
ばかり
そこでもう一度
いま現在の自分のあり方は
これでよいか?
無
いま
自分は生きていると言えるのか?
無
いま
自分は存在しているのか?
無
これまで
自分は存在していたのか?
無
ここまで来て
爽快な気分になってきた
無
無
無
無
無
無
いつのまにか
到っていた
ということか…
もちろん
逝った占いの名人の
いたずら
かもしれない
中世の魔法使いの
テーブルかなにかのように
その人の
頭骸骨の一部が
占いのテーブルの正面に
いつも
安置してあるのだから
年末年始は
いつものようにナシ
締切のある仕事が
ドッと押し寄せ
特に正月休みというものは
この十年ほどは
あったためしがない
そんな仕事のさなか
有名な虚子の句に
また
出会った
人生は陳腐なるかな走馬灯*
うまく言っている
どう生きても
人生は陳腐なもので
地球外から見れば
ドングリの背比べどころか
カビの伸び比べでしかない
反省というものも
後悔というものも
一切しない性質なので
陳腐
けっこうじゃないか
と楽しくなる
生きていても
とうに死んでしまっていても
どうでもいい陳腐さ
生まれてよかったとか
やっぱり生まれなきゃよかったとか
そんなことさえ
どうでもいい
陳腐さ
結局のところ
口から肛門まで
ものを流し込んで
ずるずる
ぐづぐづ
移動させながら
ベチョッと
ひねり出す作業を
えんえん
老いも若きも
美しきも
やゝ難ありさんも
続けていくだけのこと
いやいや
アタマの中では
精神が蠢いておるぞと
いかに言い張りたくても
下部構造のほうで
たいてい多大な時間や
注意力や労力は
取られっぱなし
陳腐と言わずして
これ
なんと呼ぶべしや?
ずるずる
ぐづぐづ
ベチョッ
ずるずる
ぐづぐづ
ベチョッ
ずるずる
ぐづぐづ
ベチョッ
まぁ、お下品な
とおっしゃる奥方
いま
あなたさまが
お化粧室でいたして来られたのは
オノマトペにすると
どんなふうで御座いましょう?
ベチョッ
でないとすれば
プカッとか
プ~っとか
スフ~っとか
ドロドロドロドロ
ビッとか?
オノマトペにすると?
*人生は陳腐なるかな走馬灯 高浜虚子
汚れたブロック塀ぞいに
車が迎えに来るのを待っていたら
若くない(というか)
初老の(というか)
老婆(と言ってしまいたい印象もある)
女の人が
塀に貼りつくようにして
じりじり
ちりちり
進んで来て
ブロック塀ぞいに立っている私を
易々と通過して
塀ぞいに
さらに向こうへと
進んで行った
いやな気持ちもしなかったし
疲れも残らなければ
落込みも起こらず
こんなさっぱりした
霊の通過もあるのかと
ちょっと驚かされた
抹茶の香が
少し残ったようだったが
気のせいだったのか
どうか
故郷に行ってみよう
ひさしぶりに
軽いかっこうで
行ってみよう
着がえも持たず
列車の中で
読むものも持たず
窓外の流れを
たゞぼーっと眺めて
飽きたら
スマホでも見て
たゞヤカンだけは
持って行きたかった
飲む水が要るから
それに手ぶらだし
ヤカンくらいは提げて
のんびり行こうと
取っ手を握って
玄関まで行った
夢の中だったのに
よく気づいたもの
ヤカンはやっぱり
ふらつくのに不便だし
東京駅の雑踏の中でも
たぶん手持ち無沙汰
乗車券を買う時も
持ったまゝでいようか
脇に置くことにしようか
どちらもちょっと
ヘンに見えそうだしと
よく気づいたもの
夢の中だったのに
故郷に行ってみよう
ひさしぶりに
という思いだけは
目覚めてからも
しかし鳴り続けた
幼少時の五年だけ
居続けた故郷
家族の中で自分だけ
執着しているところ
童謡や子供の歌に
出てきそうな
心に隔たりのない
原野草原小さな町
行く必要などないし
歳月とともに
ますます必要がなくなるが
でも本当に
軽いかっこうで
行ってみよう
着がえも持たず
列車の中で
読むものも持たず
窓外の流れを
たゞぼーっと眺めて
飽きたら
スマホでも見て