理解されなくても
もう
なにかを正そうともしない
わかってもらおうともしないし
説明しようともしない
なにかを言ったり
書いてみたりするのは
じぶんの中の思いを進ませるためだけの
足場を作るということ
その思いは
他人の思いと融和することなどないし
出会うことさえない
現代では
大の大人が幼稚園児のようなことを平気で言う
言葉はたがいに理解しあうためのものだとか
理解しあうのは可能だとか
理解しあうべきだとか
あゝ
ロートレアモンも
ペソアも
ランボーも
お望みなら
カール・シュミットも
スピノザも
ブランショも
読んでいないで
能天気なことを言っているだけの
体だけ大人になった連中だなとわかる
許されないんだよ
それらを読んでいないこと自体が
それらを読まずになにか言葉を言ったり
書いたりすること自体が
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