むかし文化人類学を学んでいた時
爽快だったのは
ある民族の個人Aが表現したものも
個人Bが表現したものも
まとめて民族誌と呼ばれる総体に取り込まれるばかりで
表現の個性などはきれいに無視され
その民族全体の表現としてしか
捉えようとはされないこと
そんなことを思い出しながら
今の首相の言動や
そのお友だちの言動や
それを批判したり
落胆したり
怒ったりする人々の言動を
ずっと見続けている
無反応な人びとの顔つきや
歩きぐあい
今日の喜怒哀楽も
興味も示さない人びとの
いちばんの関心の向きどころなども
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