2017年6月13日火曜日

富小路禎子の紫陽花


   女にて生まざることも罪の如し秘かにものの種乾く季
              富小路禎子


紫陽花は
喪の色に咲く…

富小路禎子はこう歌っていた

吾の後生れしものなきこの家にまた紫陽花は喪の色に咲く

長く続いた貴族の家の最後の娘として生まれ
結婚せず
婿を取らず
子を持たず
自分かぎりで家を絶やす決意と懊悩を生き続けた彼女には
毎年の紫陽花は
喪の色でしかなかったか…

晩年に病んで入院した病院に
木枯しの吹きつけることのあった時
生まない一生であったと思い込んできた彼女は
気づいた
あゝかつて自分は生んだことがあったか、と
生んだ子がいま窓を敲いているのか、と
思えば世間とは
この世とは
いつも木枯しのようなものではなかったか、と

わがかつて生みしは木枯童子にて病み臥す窓を二夜さ敲く

けれども
人生の終わり近く
敗戦の日にたまたま撮られた娘時代の写真を見直して
こんなふうに歌っているのを見ると
彼女が生んだのは
自分自身ではなかったかとも思われる

 焼跡に杙のごと立つ少女吾敗戦の日の白黒写真

自分を自分で生んで育てていく人もあるか
生んだ自分にだけ寄り添って
自分とで親子として歳を重ねていく人もあるか

ふと目にした墓を
どれも
結婚することのなかった夫の墓と見ながら…

 未婚の吾の夫にあらずや海に向き白き墓碑ありて薄日あたれる




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