2017年6月22日木曜日

(こんな遠くに来たのは生れてはじめて。)



……ひとり遊びが続いている

それを確認するために人と群れるということをしないまゝ

記憶に動画はない
瞬間から瞬間への動きを覚え続けているというのは
勘違い
スチール画のようだろうか
しかし
それも
あやふや

あれらの時間や場所
行為
無数の像
それらを覚えていることがわたしを支えているはずだったが
どれもろくに覚えてなどいないなら
わたし
なにに支えられているのか

三大元素?
五大元素?
いや
記憶こそ世界を構築する元素
その記憶の認識に勘違いがあったら?

…あったのだ

…かといって
なにもなかったと言うのは
逃げ

おゝ、夏の逃げ水…!

アスファルトが、コンクリートが、泥の道が、
どれも、
ふたたび、
ふいに、親しい…

   『あたしアラバマからやってきたんだわ。
アラバマからずっと歩いて。
ずいぶん遠くまで来たのねえ。』
考えはさらに走って 
旅に出てからひと月とたたないのに
あたしもうミシシッピ州にいる、
こんな遠くに来たのは生れてはじめて。
あたしが十二のときに家からドーンの製材所に移ったときより
もっと遠くに来ているんだわ……*
  
*ウィリアム・フォークナー『八月の光』(加島祥造訳



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