2022年8月29日月曜日

ここから離れる時

 


無意味の只中にどんどん入っていく

錯乱を装い(19世紀からの軽佻浮薄な流行)

そこから生じうる効果を狙う(“私を見て見て”症候群)

まるでなにかの探求をしているかのように見える

 

これは児戯だが

大の大人がやり続けていると(20世紀詩人の常套)

なにか他人にはうかがい知れない意味が

その行為や信念にはあるのではないかと見える

 

ここから離れる時(文芸的・芸術的“転向”)

近代の“詩的なもの”(文化的“統一教会”手法)から離れることになる

「私が求めるのは“詩的なもの”ではなく”詩“だ」

ジャン・コクトー

 

「詩人たちが書くものを見ると

連中はなにか知っているかのように思えてくる

しかし連中は一切なにも知らない」

ラージニーシと呼ばれた覚者OSHO






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