結局、
カール・シュミット 『政治的なるものの概念』(清水幾太郎訳)
右翼をやっていたことがある
正確には
右翼連中がこちらを右翼仲間と見るのを
とりたてて拒否しなかった
というだけのことだが
三島由紀夫のことをわざと「三島先生」とかならず呼ぶことにし
神道に現実に織り込まれている霊的力学を大いに尊重し喧伝し
「モーリス・ブランショも右翼でしたからね」と
おのれに欠けているがゆえに右翼連中が必ず引き寄せられてしまう
衒学的・知的な興味喚起を行なう
という
程度のことだったが
これだけで
右翼は
コロリなのである
言語表現にはかならず多義性がある
「三島由紀夫」はいうまでもなく優れて多義的であり
『夏子の冒険』や『永すぎた春』の作者でもあれば
情熱的なUFOマニアでもあった面も含み持つ
神道は根本にヒンドゥーの複数神システムを有するがゆえに
つねに細密に反国家神道的である
共産党員のマルグリット・デュラスと仲の良かった
極左よりもはるかに壮絶に極左的であるブランショの
すこぶるイロニーに富んだ右翼性なるものに近づくには
とにかく彼の文学的哲学的神学をフランス語原文経由で辿っていか
片鱗に触れることさえできないので
高度の知性と忍耐を必要とするために
右翼韜晦には鉄壁の城塞と言える
これだけで
右翼は
コロリなのだった
左翼嫌いはもとより共有しているので
時々どき「左翼連中というのは…」と口に上らせれば
それだけで兄弟の盃をまた受けることになる
表面に
「わたしは馬鹿です」と
わかりやすく表示してくれている人たちとつき合うのは
つまらないが
まあ
楽といえば楽なものである
さて
ここからが
この自由詩形式単語並べにおける
本日の目玉
自由詩形式読解問題攻略なら
「ここが出る!」
というやつだ
昔々
大きな難関校受験塾で働いていた時のことであった
ある地区の教室長が
比較的愚かでない右翼で
その人とはよく話した
政治学を専攻し
大学院まで進んで
ヨーロッパ保守の元祖エドマンド・バークを研究していた
バークをしっかり読んでいない政治学者は
まあ
インチキであるといってよい
ルソーやロックやホッブスだけでは
たんなるアホ左翼になる
ホッブスも
イギリス保守思想家のオークショットや
ほとんどナチス思想にもなりうるレオ・シュトラウスふうに読めば
そのすさまじい明察に恐れ入るのがふつうだが
左翼教員がレジュメした左翼教科書で学んだりすると
まあ
ろくな事はない
ルソーは全体主義の元祖で
ジャコバン派もナチスも見事に具体化しようと努めたが
それを民主主義の礎だなどと薄っぺらに呼んでしまえる時点で
もう政治学者とは言えない
ロックにいたっては
あの党派性をどう巧妙に隠蔽するかが
彼の思想利用の勘どころになるほど偏っている
(しかしロックはアタシゃ大好きだね
時どき読み直すとネジの緩んで来がちなアタマもよく成り直すよ
いやあ難しくって読めねぇよ
っていう向きには
1697年執筆の『知性の正しい導き方』なんか
急いで読むといいかもね
特段の発見はないが
知性を整序するのに格好の落ち着いたお説教である
道元の座禅教導書に匹敵する)
さてさて
その教室長は
まったくできないわけではないものの
とてもではないがよくできるとは言えない英語レベルだったので
バークを読むといっても
もちろん翻訳を読むのである
当時はみすず書房から出ていた半澤孝麿の訳で読むことになるが
いい訳だったとはいえ
なかなか学術的なしっかりこってりした訳で
読むだけでも大変である
水田洋と水田珠枝の訳もあったはずだが
あれはヘンにひらがなにしているところが多すぎるということで
吉本隆明の書き方を思わせるところが
右翼としては許せなかったものか
彼は採用しなかった
今なら二木麻里の流麗な訳もあったり
佐藤健志の大胆な抄訳もあったりして
バークを日本語で読むのもずいぶん楽になってきたが
当時は衒学的にカッコつけたがる連中は
まあ半澤訳なわけである
もちろん十八世紀の英語で読むのはもっと大変なので
教室長は
英語と半澤訳とをいっしょに見ながら
わかったような
わからないような
そんな読み方を大学院生時代にしてきた
わたしは彼を馬鹿にしているわけではなくて
古典の外国文献を読むというのは
どうしたってこんなものである
と言ってはおきたい
二十世紀や十九世紀ならなんとかなるが
十八世紀というのは難しい
ロックなんぞに到っては主要著作は十七世紀のもので
すっごい難しい英語だぞよ
十八世紀も十七世紀も
読んでやろうと本を買ってみるまではいいが
西鶴や近松のテキストに注釈なしで飛び込むようなことになる
注釈があったって細かい字でマジの学究的注釈である
どうしても先学の翻訳や解説書を傍らにおいて読むことになる
同じ政治学で英語圏のものの研究をすると言っても
二十世紀のラスキやマッキーバーなどを対象にしておけば
よほど楽だっただろうし
そもそも文体がちゃんと論文調なので読みやすかっただろう
ミルやベンサムだってもっと読みやすい
それなのにわざわざバークに興味を持つというのは
それだけでも見上げた挑戦心だと言えた
この教室長は
在籍すれば後々はどこかの大学教員になれるような大学の大学院に
行ったのではなかった
ということも
英語の問題にはあった
世に大学や大学院はいっぱいあるが
在籍したりそこで論文を書けば大学教員になりやすいところと
そうでないところが歴然とある
そうでないところは往々にして無試験で院に行けたりする
あまりできないやつでも
大学院生にしていかないと
文科省は大学院をお取り潰しにするからである
研究者になろうと志したことのある人たちは
優秀な人たちでも
大学院の入試には困らされた経験があるだろう
ふつうに知識があったり理解力があったりというだけでは
入試は通過できない
そこそこの知名度の高い大学の院は受験者数も多いので
試験会場に行くと
受かる自信などは吹っ飛んでしまう
この教室長の場合
無試験の大学院だった可能性もある
紳士協定のようなものがあって
万一無試験だったりするとヘンなところを衝いたかたちになるので
直接は彼には聞かなかったが
あの大学の場合
その可能性はあるナ
と感じていた
さてさてさて
ある時
その教室長から
グループに参加しないか
と誘われた
どんなグループかと聞くと
彼の出た大学の卒業生で
しかも同じ政治学科の卒業生で
ホントに箸にも棒にもかからないどうしようもない奴がいて
からっきし馬鹿なんだけれど
そいつをいっぱしの政治家にしようという集まりでね
親父が与党の議員で
外務大臣や幹事長もやったアレなんですよ
もう親父のほうは死んだんだけど
でもコイツももう衆議院議員に当選したので
政治学とか英語とか国際関係とかあちこちに顔の利く連中で集まっ
こいつのブレーンになってやって
こっちも稼がせてもらおうか
というわけで…
ほお
首相かなんかになるように
チームを作って押していこうというわけですね?
いやあ
首相なんて
ムリ
ムリ
彼の親父でさえなれなかったんだから
あれにはムリ
ぜんぜんムリだろうけれど
まあ
長い間にはそれなりの役に就けるぐらいになれば
それはそれで
こっちも面白いかな、と……
こちらはこちらで忙しいし
あまり関わりのない他所の大学のことでもあるし
ということで
彼らが企てていたチームというか
グループというか
そこには
ついに参加しなかったが……
しかしながら
その後の結果をみれば
彼らの企ては
ちゃァんとそれなりの成果をあげて
ムリ
ムリ
ムリ
と彼が言っていた
PMに
プライム・ミニスターに
ま
森羅万象の助けをぞんぶんに得られて
就かせちゃったのだから
大したもんだと
言えば言える
ウソのような
でも
正真正銘
ホントのお話であります
いや
ホント
世間というのは
狭いもので御座いましての…
彼らにしても
もちろん
今年をもって
お役御免と
相成りまして御座りまする
というところ
今から二十数年前の
右翼とのおつき合いのなかの
一挿話で御座いました
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