2014年7月6日日曜日

〈だれひとり生きていて価値のある人間などいない




ひとびとは
…とつぶやくのはわたしがまったく違っているからだが…
なにか価値ある生を生きていて
あるいはそういうものに向かおうとしていて
そういうものが可能であるかのように思い込んでいて…

価値は思念がこしらえる網の目に過ぎず
ひとが勝手にモノに当てはめるだけのものに過ぎないから
ようするに網の目でモノならぬものを掬おうともがいているらしい

ま、ご苦労さまだ
そんな信仰を持ったままでいる
ひとびとよ

ところで
わたしがそう思っているわけでもなく
信じてもいないものの
聞かされたことがある
〈だれひとり
〈生きていて価値のある人間などいない

ある戦争に行った時
はずれのほうの戦地で
急に森の中で出会った敵をとっさに撃ったが
彼が死ぬ間際に近づいたわたしに小さな声で言ったのだ
彼の頭に銃を突きつけて止めをさそうとしたが
彼は力なく首を振り
その必要はない
止めをさされるのは怖くないが
もうすぐ死ぬのはわかっているし
残りの煙草を愛煙家が惜しむように
おれも最期の瞬間をちょっと感じていたいんだ
と言った
わたしも急ぐ必要はなかったので
銃を彼の頭から離し
胸から出続ける血の染み出しを見た
互いが共通して分かりあえることばで
おまえを殺すつもりはなかったんだ
正面から急に出会わなければ
ふたりしかいない森だし
双方むだな殺し合いはしないで離れようと
遠巻きに言って別れることもできた
だが急に出会ってしまった
運が悪いというか間が悪いというか
たまたまこちらがはやく撃っただけのことで
こちらがやられていてもおかしくなかったし
なんというか衝動的に
あるいは自動的に
撃ったというだけのことだった…

たいして意味もないことを
相手が息を引き取るまでのあいだに
こんなふうに
ぽつぽつ言い続けただけだったが
急に相手は
言ったのだった
〈だれひとり
〈生きていて価値のある人間などいない
こちらの話とも
彼のつぶやきとも
脈絡なく
〈だれひとり
〈生きていて価値のある人間などいない

いま思い出したこのことばを
世の中という
とかくクサしたくなるものへの批評がましく麗々しく
ここに記しておきたいわけではない
ただ思い出しただけのことで
これを言った後
あの男は息絶えたのだと
それも
ただ
思い出すだけ

他のことも思う
いや
このことばに引き出されるように
いろいろなことを思う
生きているかぎり
思いは絶えない
あたまはつぎつぎ思い続ける
あたまはそんなもの
あたまはそれだけのもの

こんなことも思うのだ
あの森に
あの男をあのまま残してきたので
彼の体は動物や虫に食われて
すぐに胸も腹も
宙に空にむかって開かれ
骨になっていっただろうと
世の中では
そういう死体のさまを哀れだと知ったふうに言い
ちゃんと墓に埋葬してやらねばと
考えるのがよしとされ
ふつうだとされ
人間的だともされるが

わたしはあの後
たくさんの墓地を見たし
多くの葬儀にも立ち会ったが
ああいった寒々しい
さびしい区画された石の場所でなしに
草も土も虫も動物もいる森に横たわって
じわじわ骨になっていっただろう点については
彼をしあわせ者と思う
〈だれひとり
〈生きていて価値のある人間などいない
などということばと
関わりがあるわけでもないし
関わらせようと思ってもいないが
このことばは
わたしが見なかった彼の骨のこと
森の中でのその後の散らばりぐあいや
彼の軀や骨の成分の土への浸透ぐあいまで
それらを思うところまで
わたしを運んでいってくれる




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