2022年4月27日水曜日

物語なるものの力を

 

 

いまの住まいは

外に出て行くたびにエレベーターに乗るので

乗っているあいだも

エレベーターが来るまでのあいだも

手持ち無沙汰の時間がある

 

はじめのうち

だれもがそうするように

いらいらしながら

あるいは

いらいらを装いながら

待っていたり

乗っていたりしていたが

そのうち

短いが毎日なんどかくり返す

この超小間切れ時間も

利用しない手はないと思い立ち

ポケットに入るぐらいの小さめの本を

いつも持つようにして

エレベータホールで待つ時や

エレベーターに入った時などに

すぐに取り出して読み出すことにした

 

一回ごと本を開けるたび

もちろんたいして読めはしないのだが

それでも毎日数回となると

何ページかは進んでいく

これがけっこうバカにならず

今年に入ってから

いつのまにか

文庫本で三冊ほどの分量を読み終えてしまった

 

だいたい

大部の本をこそ読みたかったりするので

その時にいちばん読みたいものを持って出るわけには

なかなかいかないのが

問題といえば問題なのだが

いつか読んでおくかな

と買い溜めしておいたうちの

なるべく薄いものを選り好みせずに持って出て

エレベーター用本を

エレベーター用読書時間に読む

とあきらめて読めば

そこそこ

発見もあったりするのだから

それはそれ

超小間切れ時間も

まあまあ

有効に使えたことにはなって

良きかな

良きかな

 

しかし

カントの『純粋理性批判』なんかは

読んできたところの微妙な論理の記憶が

次の小間切れ時間までにはだいぶ薄れてしまっていて

エレベーター用本にも

向き不向きが

あるようだなあ

とも感じる

 

複雑かつ多層的ではあっても

物語もののほうが

記憶は薄らがない感じで

物語なるものの力を

エレーベーター時間によって

再認識させられている






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