「あの頃が、ぼくら、いちばんよかったよなあ」
とフレデリックは言った。
「そうねえ、そうかもしれないなあ。
ぼくら、あの頃がいちばんよかったよなあ」
とデローリエが言った。
ギュターヴ・フロベール 『感情教育』
フロベールの『感情教育』は
九月の早朝六時頃に
ヴィル=ド=モントゥロ
という船が
出航しようとするところからはじまる
近代文学史上はじめて
映画的描写が言語でみごとに定着された箇所で
すでにフロベール研究の蓮實重彦など
1970年代に絶賛していた
多くの物を描き込んで
空間の物的豊饒さを表わそうとする際
フロベールは接続詞で文を繋ぐのを避けて
ワンショットで一光景を撮っては
離れたべつの光景を
また
ワンショットで撮る
カメラをすばやく向け直し続けていくような
そんな描き方を意識的にやる
端的に言って
つまりは現代詩の一派そのものの
辛口な言語づかいを
もっと通俗な言語使用法の場であるはずの
小説散文の中で試みていくわけだが
『感情教育』冒頭は
そんな手法がいかんなく発揮された場所で
映画撮影と編集の方法を補助的に想起しながら読むと
うまみがよくわかる文学の名所となっている
なにかというと
接続詞を出して繋いでいきたくなりかねない翻訳作業においては
わかりやすさや
日本語文脈的な親しみやすさを出そうとすると
フロベールの意図と挑戦を
乱暴に無視していってしまいかねない
危険な箇所でもある
まあ
そんなところだけ
ちゃんと見ておけばいいだろうと
油断して
ろくに注釈もない版でなんどか読んできて
この船の名についても
べつに気にもしないできたが
ピエール・マルク・ド・ビアズィの校訂した版で*
読み直していたら
ヴィル=ド=モントゥロ(la ville-de-Montereau)
という船の名は
la vie lente de Moreau
というアナグラムを含むと註が付されていて
へええええええ
モローの緩慢な生活
とも
モローの遅鈍な生
とも
取れそうな意味あいが
冒頭の出航間際の船の名に仕組まれていて
十八歳の主人公フレデリック・モローの
みずからの幻影に導かれつつの
無頓着な
無気力な
ものぐさな
運命の流れを表わす
とも記されていて
まあ
そこまで断言する根拠はないんじゃないの?
とは思うものの
少しでも
新しい校訂版や注釈版というのは
やはり目を通していかないといけないものだわなあ
と
またもや思い直した次第
*Gustave Flaubert L’Education sentimentale, éd par Pierre-Marc de Biasi, Le Livre de Poche Classiques,2002.
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