若かった頃
友と見に行った展覧会で
古代の彫刻が天井から照明をうけて
うしろの白い壁に
彫刻の濃い影ができていた
影は彫刻よりも鋭角が勝り
冷たさとシャープさを狙った
現代美術のようだった
影のほうに気を惹かれていると
「やっぱり君もそっちのほうに注目してるんだね?」
と友が言った
この影にこそ永遠があるね
とか
永遠かどうか
わからないけれど
彫刻を超えたものがあるね
とか
ことばを交わしあった
ことばを交わしながら
いかにも
若い者が見巧者を気どりながら
「永遠」とか
「超えた」とか
そんなことばを弄びながら
言ってみたがることを
じぶんたちは言っているだけだな
と恥ずかしかった
何十年も経って
いま
その瞬間を思い出す
わたしも
彼も
あの時の歳のままの
あの光景を
しかし
おお!若者たちよ!
きみたちは
あきらかに真理に触れていたのだ!
「永遠」とか
「超えた」とか
そんなことばを
もっと
もっと
きみたちは使ってもよかった!
弄んでもよかった!
見巧者を気どってもよかったのだ!
すべてが失せていく
ただ失せていくばかりの
この
非永遠の渚で
もっと
もっと
きみたちは
「永遠」あそびをしてもよかった!
「超えた」あそびをしてもよかった!
わたしたちは
古代彫刻の濃い影を
あんなにも凝視していた
彫刻そのものを超え
ものであることを超え
作者の意図も労苦も超えた
鋭く冷たい影を
わたしたちは
あきらかに真理に触れていたのだ!
わたしたちは
すでに
永遠だったのだ!
あの時
超えていたのだ!
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