2022年4月24日日曜日

たぶんまだまだ続けていく


 

ぼくは、自分に物語をしてるのではないか。

田中小実昌『寝台の穴』

 


 

若者たちに

小津安二郎の『東京物語』を解説しながら

尾道の老母の危篤を告げる電報が

長男の家に届けられる場面まで来た

 

ああ

こんなふうだった

昭和のいつ頃までだろう

郵便の人は勝手に玄関の戸を開けて

「電報です」などと告げたし

御用聞きもガラッと戸を開けて玄関口から

へい、毎度!

なんて声を響かせた

 

あらずもがなの解説じみた話を

ぼくは続けていく

 

・・・・・・・・・・・・

郵便配達の人が電報を持ってきますが、

まず家の玄関の戸を勝手に開けてから、「電報です」と告げますね。

先に、急患の人が来た時もそうでしたが、

この頃は、こんな感じで、用事のある人は勝手に戸を開けてきますし、

それができるようにカギを開けておくのがふつうでした。

現代から見れば信じられないような習慣ですが、

逆に考えれば、

こういう時代のやり方に慣れて育ってきた世代の人たちには、

戸締まりをきっちりするような暮し方のほうが、

非常に息苦しいものにも、寂しいものにも見えたはずです。

 

個人的な経験ですが、幼かった頃の私自身も、

『東京物語』よりもはるかに後の時代なのに、昭和の時期は、

多くの家で戸締まりをあまりしなかったという記憶があります。

若い夫婦と子どもだけから成る核家族の私自身の家では、

今のように、玄関には鍵をかけていましたが、

家族の多い祖父母の家に行くと、

朝から夜まで庭の門の鍵もかけないし、

玄関の鍵もかけませんでした。

首都圏での話です。

夜に鍵をかけるのは、家族全員が帰宅してからで、

最後に帰ってきた人が戸締まりをしたものです。

 

日中は、酒屋さんやお米屋さんの御用聞き(注文取り)や

洗濯屋さん(クリーニング店)の御用聞きなどが、

毎日、平気で庭先まで入ってきて、挨拶して、

「今日は必要なものはありませんか?」と訊ねたりします。

酒屋さんなどは午前中に注文を取ってまわって、

午後から夕方までに配達をしてくれるわけです。

当時は、ビールなどはすべて瓶ビールでしたし、

お酒も小さな壜などなく一升瓶、醤油も大きな壜しかありませんから、

酒屋さんが運んできてくれないと、

主婦ではなかなか、そういう壜ものは家には運んで来れません。

飲み終わったビール瓶の回収なども、当然、酒屋さんの仕事でした。

ビール壜は、各家をまわって、ケースごとに運んできたり、

回収していったりなので、

酒屋さんは朝から晩まで休みなしの仕事でした。

今のAmazonがやっているような配送の仕事を、

日常品の部分では、地元の小売店がそれぞれ行っていた感じです。

 

牛乳屋さんや新聞屋さんも、毎朝配達にまわってきて、

これは外に備え付けた牛乳箱や郵便箱に入れていくわけですが、

集金や他の用事で、よく庭先に来たりもしました。

これらの業種については、

現代でも昔のまま継続されているところがありますね。

 

近所の人も、なにか用事があると

(回覧板を持ってくるとか、ゴミ当番の相談とか世間話とか)

縁側まで入ってきて、そこで立ち話したり、

ちょっと話が長くなる時は、

縁側に座ってお茶を飲みながら話したりしました。

家猫も野良猫も当たり前にそこらにいて、

縁側で人が話していたりすると、脇に来て寝ていたりします。

 

少なくとも、

昭和の50年代から80年代ぐらいまではこんなふうでした。

もちろん、その頃も泥棒はいましたし、

押し売りといって、玄関先や縁側で荷物を広げて

ゴム紐などの小物を買ってくれと頼む人たちもいましたし、

家に入ってくる人には怪しい人もいたわけですが、

だからといって門や玄関の鍵を閉めてしまうわけではない、

というところがありました。

家族と世間の間に、

開放し切ってしまうのでもなく、

閉鎖し過ぎてしまうのでもない、

微妙なバランスが保たれていた気がします。

 

現在のような日本(の都市部)の閉鎖型社会になっていくのは、

80年代のバブル期の前後の変貌の影響が大きかったように、

個人的な生活感覚としては感じます。 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

部分によっては

異を唱える人もいるかもしれないが

ぼくの目からは

こんなふうに見えていた

 

まさか

それをこんなふうに語る時が来るとは

思ってもいなかった

 

そうかなあ

きみの環境ではそうだったのかなあ

ぼくのほうは

ちょっと違うけどなあ・・・

などと話す人も

もう

だれもいなくなったが

そんなふうに

きみぼくで話す人がいなくなってしまうのだとも

思ってもいなかった

 

田中小実昌ではないが

ほんとうに

ぼくも

じぶんに物語をしているのではないか

よく思うようになった

 

まあ

むかしから

ぼくの場合はそうだ


リンカーンではないが

じぶんの

じぶんによる

じぶんのための物語を続けてきて

続けている


たぶん

まだまだ

続けていく

 




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