犬HKの
日曜日の
大河ドラマで
家康のことを
今年は
やっている
らしい
ははん
それなりの
抵抗
かも
しれん
アメリカは
今川
もう
とうに
義元の首は飛んで
今は
氏真の
ぐたぐたの
政権
信玄と家康とで
やがて
滅ぼす
日本は
家康かな?
信玄は
どこかな?
犬HKの
日曜日の
大河ドラマで
家康のことを
今年は
やっている
らしい
ははん
それなりの
抵抗
かも
しれん
アメリカは
今川
もう
とうに
義元の首は飛んで
今は
氏真の
ぐたぐたの
政権
信玄と家康とで
やがて
滅ぼす
日本は
家康かな?
信玄は
どこかな?
住まいの
建物の
掃除の
おばさんと
話す
[ぼく]
寒い
寒い
っていうけれど
それほどでもないですよね
昔は
うちの中の水道管まで
凍ったりした
もの
なのに
[おばさん]
北海道生まれなので
こんな程度では
寒いうちには
入らないです
まったく
そのとおりだ
と
ぼくも
思う
寒い
は
寒い
が
春前の
ふつうの
寒さ
だ
そういえば
まだ
暖房を
入れたことが
ない
電気ヒーターは
何度か
点けてみた
でも
部屋全体の暖房は
まだ
入れたことが
ない
電気代節約とかで
意固地に
入れないわけでは
ない
部屋中の暖房をするほどの
ことは
ない
から
まだ
入れて
ない
湾岸戦争やイラク戦争を起こし
拡大させて利益を得たアングロサクソン+ユダヤどもの報道連中
すなわち
CNNをはじめとするアメリカの偏向報道局や
そもそもが悪の温床であるBBCが
全力を傾けて歪んだ報道をまき散らし続けている上
それを一方的に流し続けるように統制されている日本の
CIA主導で穢れ切ったメインメディアが報じるウクライナ情勢は
わたしは
人間たるものの義務として
もちろん
まったく信じていない
長くなり過ぎるので
この点については
ここでも
この程度で止めておく
しかし
日本の対応で不思議過ぎるのは
これまで
なにかと言えば
平和憲法の最たるものとして
日本国憲法
日本国憲法
日本国憲法
と言い続けてきたというのに
政治家だの
評論家だの
知識人だの
ジャーナリストだのが
だれひとり
ウクライナ政府にむけて
日本国憲法の精神を語らず
武装解除させようとせず
戦争放棄をつよく求めないことだ
おかしいではないか
日本の政治的アイデンティティーは
日本国憲法以外にはない
なにかというと
戦争放棄
平和主義
を叫んだり呟いたり誇ったりしているくせに
ここぞという時になると
武装を無限に進めようとするウクライナの方針を是認し
どこまでも武装一直線のNATOやアメリカを強烈に非難せず
むしろ対ロシア武装化の一途こそ平和への道であるかのような
情けない優柔不断ぶりを示している
まともな政治家ならば
ウクライナに乗り込んでいって
日本国憲法をしっかり読ませて
これと同じ憲法をはやく作るようにしたらいい
はやく平和憲法国家を作り直せ
と喧伝してくるべきではないのか
どんな敵が攻めてこようと
完全に武装解除して
やられるままになっておけ
ガンジーの非暴力抵抗だ
暴力でやられてしまうような穢れた地上ならば
さっさと殺されて天上に渡ろうではないか
それが崇高なる日本国憲法精神であり
人類にはじめて降臨した憲法の至上の形体なのである
だからウクライナよ
わが日本国に続け!
そう熱弁をふるってくるべきではないか?
自国の憲法の精神を
これほど
ないがしろにしているようでは
アイデンティティーを失ったのと
もう
まるで
変わらない
いろいろなところが
もう
修復しようもなく崩れ落ちてきている日本だが
憲法の精神を支える気さえ失っては
どうにもならんよ
もう
もう
もう
ほんとに
もう
ペシャンコになるよ
道徳めいた話や
真理っぽいことを語るのだけは
断じて
したくないのだが……
じぶんのまわりに見えるもの
あるもの
起こること
などなどは
ぜんぶ
じぶんの鏡だと
いつからか
身に染みるようにして
わかるようになった
じぶんの鏡
どころか
じぶん自身
さらには
それらこそが
じぶん
そのぐらいに
言っても
いいぐらいだと
わかるようになった
だから
廊下の隅にゴミが落ちていても
あ
これ
じぶんだ
洗った小皿を
水切りカゴに入れたら
なぜか
シンクに落っこちて
なぜか
ふだんなら弾んで
割れたりしないのに
その時だけ
みごとに割れたりする時も
あ
これ
じぶんだ
などと
思う
じぶんが
からだのなかにだけ
いる
ある
などと思うのは
かなり
観察力がよわいと思うよ
ジョン・レノンは
Beautiful Boyのなかで
Life is just what happens to you
While you’re busy making other plans
ほんと
きみの身に
偶然のように
ふりかかってくるあれこれが
人生
なにかべつのことで
きみが忙しくしている時なんかに
ふりかかってくる
予期せぬ
招かれざる
あれこれが
と歌った
(かなりすっげえ意訳
ていうか
翻案しちゃったけど…)
正しいね
ジョン・レノン
偶然のように
ふりかかってくるあれこれ
すべてを
じぶんとして
受け入れよ
なのよ
特に
なにかべつのことで
きみが忙しくしている時なんかに
ふりかかってくる
予期せぬ
招かれざる
あれこれを
なのよ
きみ
自身として
なのよ
「シオンの議定書」なる本の
第三の議定1-2
を見ていたら
こうある
われわれは非ユダヤ人の国家を
騒乱の競技場にした
もう少しすれば
暴動と破綻が
随所に起こるだろう
なにをおっしゃる
ウサギさん
騒乱だの
暴動と破綻だのは
ユダヤ人出現以前からの
人類のお家芸ですがナ
まるで
じぶんたちが
もたらしたかのような
そういう
手柄のボッタクリ方は
いただけませんなァ
君が代は
千代に
八千代に
さざれ石の
巌となりて
苔のむすまで
ヘブライ語の耳で聞くと
クム・ガ・ヨワ (立ち上がり神をたたえよ)
チヨニ (シオンの民よ)
ヤ・チヨニ (神の選民)
ササレー・イシィノ (喜べ残された民よ、救われよ)
イワオト・ナリタ (神の印[預言]は成就した)
コルカノ・ムーシュマッテ (全地に語れ)
と
意味がとれるそうな
ヘブライ語
ぼくも
学んでみたが
途中で止まったまま
ずいぶん経って
忘れちゃった
だから
こう意味がとれるのか
どうか
わからない
古代ヘブライ語だろうしね
でも
イスラエルまで
ニッポンが
軍事侵攻していいって
根拠になるかな
これ?
日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係も
と
塚本邦雄
べつに
ぼく
脱出したくないけどね
それに
この歌
脱出したいのは
皇帝ペンギンであり
皇帝ペンギン飼育係なわけ
皇帝ペンギンでもなければ
皇帝ペンギン飼育係でもない人のことは
無視されている
それにそれに
ある頃から
ぼく
「日本」クンも脱出したいんだろうな
と
読むようになった
日本脱出したし
と
言われると
「日本」を脱出したし
と
うっかり
解してしまう
でも
ある頃から
ぼく
「日本」も
主語として受けとめるようになった
日本が脱出したがっている
皇帝ペンギンも
皇帝ペンギン飼育係も
どこから?
それは
じつは書いてない
そう
解するように
なった
ぼくは
脱出しない
脱出
っていう
概念も
文字面も
音も
好きじゃないので
意識を
これには憑依させない
日本も
皇帝ペンギンも
皇帝ペンギン飼育係も
脱出してしまったところに
のんびり
だらだら
ぼく
居続ける
人生は
無意味であり
無意義である
いまさら
言うまでもないこと
しかし
時々
こんなふうに言葉でしっかり書いて
忘れないように
刻印し直しておきたくなる
人生の
無意味
無意義は
すぐ
証明できる
もし
あなたの人生が有意味であり
有意義であるなら
あなたは
人びとによって注視され続けているだろう
有意味
有意義
というのは
人間集団の中での
はかない
当座の価値づけ可能性によってのみ
成立する
そして
人間集団が関わってくる際には
つねに
数の論理が
ふかく介入してくる
いま
あなたが人びとによって
それも
多くの人びとによって
日々
一刻一刻
注視されていないならば
あなたの人生に
意味はない
意義はない
意味
意義は
そういう性質のものであり
それだけのもの
でもある
逆に
あなたのほうだって
一瞬一瞬
四六時中
他人の誰彼を
注視してはいないだろう
ある他人について
あなたが知るのは
知ろうとするのは
あなたにとって利益となるピンポイントの
ごく一部分だけであり
その他人の総体でなどない
よく
人を全的に理解しないといけない
総体を理解しないといけない
などと
画に描いたような
理想的な人づきあいの心得っぽいことを
平気で口にする
教師っぽがいたりする
そんなことは
実質的に不可能だし
誰も
他人に対して
そんなこと
やりはしない
時間がないのだ
気力体力が続かないのだ
他人についての理解は
いつも
どこまでも
部分的で
抽象的で
いい加減で
気まぐれで
全体像も
総体も
知ることなどできないし
絶対に
わからない
というわけで
人間
おたがいに
相手のことなど
全的になど見もしないし
とらえようともしないし
考えようともしない
どの個人対個人にあっても
絶対にこのようであって
例外は
地上にはない
ごく一部しか見ていないのに
その相手の人生の
意味も
意義も
あったものじゃない
だいたい
自分自身のことさえ
ごく一部しか
とらえられないのが
人間の意識の構造というもので
よく凝視し
突き詰めて考究してみたところで
記憶はすぐに靄のように散り
数日も経てば
あなたはあなた自身にとってさえ
ふたたび
よくわからない朦朧体となる
なにもかも
どうでもいい
ということが
歳を重ねるほど
よぉく
わかってくる
生き続けていたって
なにがどうわかるわけでもないし
なにかわかったつもりになっても
どうせすぐに忘れるのだし
どんなに詳しく文章や図像に書き残しておいても
長い時間が経てば
そこに書いた内容をすっかり忘れているし
そもそも
読み返すのも面倒になっている
「まあ
あの時はこれが大事だと思って
こんなに細かく書いたりしたんだろうねえ
ハハハ」
と言いながら
ソファに座って
半分眠いような頭になっているだけ
せめて
死なないように
注意しなくちゃ
頑張らなくちゃ
そんな
思いもだんだんと薄らいで
大津波が来るのも
逃げずに
ボーッと見つめていられるように
なるよ
きっと
なる
それで
いいんだよ