2023年1月19日木曜日

それでいいんだよ



 

人生は

無意味であり

無意義である

 

いまさら

言うまでもないこと

 

しかし

時々

こんなふうに言葉でしっかり書いて

忘れないように

刻印し直しておきたくなる

 

人生の

無意味

無意義は

すぐ

証明できる

 

もし

あなたの人生が有意味であり

有意義であるなら

あなたは

人びとによって注視され続けているだろう

 

有意味

有意義

というのは

人間集団の中での

はかない

当座の価値づけ可能性によってのみ

成立する

 

そして

人間集団が関わってくる際には

つねに

数の論理が

ふかく介入してくる

 

いま

あなたが人びとによって

それも

多くの人びとによって

日々

一刻一刻

注視されていないならば

あなたの人生に

意味はない

意義はない

 

意味

意義は

そういう性質のものであり

それだけのもの

でもある

 

逆に

あなたのほうだって

一瞬一瞬

四六時中

他人の誰彼を

注視してはいないだろう

 

ある他人について

あなたが知るのは

知ろうとするのは

あなたにとって利益となるピンポイントの

ごく一部分だけであり

その他人の総体でなどない

 

よく

人を全的に理解しないといけない

総体を理解しないといけない

などと

画に描いたような

理想的な人づきあいの心得っぽいことを

平気で口にする

教師っぽがいたりする

 

そんなことは

実質的に不可能だし

誰も

他人に対して

そんなこと

やりはしない

時間がないのだ

気力体力が続かないのだ

 

他人についての理解は

いつも

どこまでも

部分的で

抽象的で

いい加減で

気まぐれで

全体像も

総体も

知ることなどできないし

絶対に

わからない

 

というわけで

 

人間

おたがいに

相手のことなど

全的になど見もしないし

とらえようともしないし

考えようともしない

どの個人対個人にあっても

絶対にこのようであって

例外は

地上にはない

 

ごく一部しか見ていないのに

その相手の人生の

意味も

意義も

あったものじゃない

 

だいたい

自分自身のことさえ

ごく一部しか

とらえられないのが

人間の意識の構造というもので

よく凝視し

突き詰めて考究してみたところで

記憶はすぐに靄のように散り

数日も経てば

あなたはあなた自身にとってさえ

ふたたび

よくわからない朦朧体となる

 

なにもかも

どうでもいい

ということが

歳を重ねるほど

よぉく

わかってくる

 

生き続けていたって

なにがどうわかるわけでもないし

なにかわかったつもりになっても

どうせすぐに忘れるのだし

どんなに詳しく文章や図像に書き残しておいても

長い時間が経てば

そこに書いた内容をすっかり忘れているし

そもそも

読み返すのも面倒になっている

「まあ

あの時はこれが大事だと思って

こんなに細かく書いたりしたんだろうねえ

ハハハ」

と言いながら

ソファに座って

半分眠いような頭になっているだけ

 

せめて

死なないように

注意しなくちゃ

頑張らなくちゃ

そんな

思いもだんだんと薄らいで

大津波が来るのも

逃げずに

ボーッと見つめていられるように

なるよ

 

きっと

なる

 

それで

いいんだよ





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