『七つの夜Siete Noches』*の中で
ボルヘスは
じぶんはイタリア語はできない
と言っている
しかし彼は
ダンテの『神曲』を
イタリア語原文で読んでいる
彼が勤めていた図書館が
ブエノスアイレスのアルマグロ地区にあり
住まいはそこから遠い
ラス・エラス大通りとプエイレドン通りの交差点にあり
通勤には長い時間をかけて
市街電車に乗っていかないといけなかった
ちょうどミッチェル書店で見つけた
携帯に便利な小さな三巻本の
デント社版『神曲』があったので
それを市街電車の中で読むことにしたという
イタリア語原典とカーライル訳の英語とが
見開きの左右のページに印刷されている本だった
ボルヘスはおもしろい読み方を思いついた
まず英訳で三行連句から成る一節ずつを読み
次にイタリア語で同じ節を読む
こうして最後まで『神曲』を読み終えてみて
その後は今度英語訳だけを全文読んでみる
それが終わると次にイタリア語だけで
全文を読んでみる
スペイン語を母語とするボルヘスだからできる
イタリア語のダンテ原典への馴染み方と言えるが
ある程度ひとつの外国語を知っている場合には
他の国の人間にも真似できそうなやり方ではある
とはいえアリオストの『狂乱するオルランド』や
クローチェのイタリア語著作もほとんど読んだというから
けっこうイタリア語ができるんじゃないの?
と思わされもするのだが……
ところでこの時に彼が勤めていた図書館の職は
ペロン政権の独裁政治によって奪われることになる
ペロン派のブエノスアイレス市長によって
ボルヘスは市立図書館の職を奪われ左遷されるが
与えられた次の仕事はなんとまあ
公設市場の鶏や兎の雌雄判別係という仕事だった
ベケットばりの劇が書けそうな不条理人事である
ボルヘスはただちにこの職を辞すが
この後十年ほどは独裁政権下での苦しい生活となった
母は自宅監禁され妹や甥は刑務所に投獄され
ボルヘス自身にも刑事の尾行がついた
五年ほどは無職で過ごすことになった
もっとも図書館に勤めていた時でさえも
職業的に幸福だったとは言えない
1937年に38歳ではじめて就いた定職だったが
楽とはいえろくに仕事もないやり甲斐のない閑職で
「濃厚な不幸の九年」だったと後にふり返ることになる
自分の存在の小ささをつくづく味わわされた九年間だった
とはいえこういう環境だったからこそ
勤務時間の多くを読書と作品執筆に費やすことができた
デント社版の小さな『神曲』を手に入れたのは偶然だった
といったんは言ってみたものの
ボルヘスはすぐにつけ加えて
偶然というものは存在しないものだし
私たちが偶然と呼んでいるものは
因果関係の複雑な仕掛けに対する私たちの無知のことだ
と言っている
「濃厚な不幸の九年」だったという図書館勤めが
「偶然」でなどあり得なかったであろうことは
彼の生涯をふり返れば明らかだし
その図書館職をペロン独裁によって奪われたのも
おそらく「偶然」でなどなかっただろう
わたしの思うには
神慮の顕現でもあったはずのペロン独裁による悪戯で
せっかく与えられた公設市場の鶏や兎の雌雄判別係という仕事を
神の仕掛けてきた遊戯としてボルヘスが数年でも受け入れてやって
あのボルヘスとは異なったもっと巨大なボルヘスになったのではな
そう強く感じられて残念でならない
原稿も書かずに口に活字をくわえて
直接に次々と活字版を作りながら書いていったという
18世紀作家レチフ・ド・ラ・ブルトンヌの姿や
小説をガーッと書いては肉体労働に出て
そこから戻ってくるとまた小説を書いたというスタインベックの生
歴史に残る冷酷な軍人でもあった大詩人の曹操のことや
『ガリア戦記』『内乱記』を記すほどの簡潔明晰な名文家で
キケロと並んでラテン散文の双璧とみなされるあのカエサル
それでいて厳しい軍人政治家として
ガリア人たちの処刑もやすやすと多量にこなしたカエサルのことが
どうしても思い出されてしまい
それらと比べるとボルヘスの線の細さが残念に思われる
本邦では藤原種継暗殺を企んで死後に追罰され官籍から除外され
埋葬も許可されなかった大伴家持のことや
(そのせいで彼が編集した『万葉集』
北条義時に対して承久の乱を企てた天才歌人後鳥羽上皇のことも
どうしても思い出されてくる
*Siete Noches by Jorge Luis Borges, 1995
邦訳は『七つの夜』(J.L.ボルヘス著、野谷文昭訳、
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