ひとの話をボーッと聞いていたり
センセらの話はいっそうボーッと聞いていたり
新聞やテレビの伝えることを
大ざっぱに見たり聞いたりしていていつも思うのは
なにか喋ったり書いたりするひとが
いろいろなことを
これはこういうものだ
あれはああいうものだ
と決めつけて喋ったり書いたりしていることだ
ぼくより年下のひとでも
子ども時代は懐かしいもの
夏は暑くて嫌なもの
ディズニーランドは楽しいもの
B級グルメはみんなが好きで興味があるもの
とかなんとか
だいたい決めつけてあって
それにもとづいて
どうでもいいグータラな話を
えんえんと組み上げていく
そういうの
すごく腹が立つ
なにかひとつのものはある特定の意味作用や印象を持つ
っていう決めつけかたって
昔ならスターリニズムと呼ばれたが
今のひとたちは常識だとでも言うのだろうか?
いちいち逆らっても
めんどうだし
うるさいひとだなと思われるだけだから
ふだんはなんにも言わないけれど
ほんと
バカなんじゃなかろうか?
という連中が
いろいろなメディアに平気で顔を出して
どうでもいいグータラな話を
いつも
いつまでも
えんえんと組み上げていく
むかし
大批評家のロラン・バルトっていうひとは
どこかで
ちょっと目を逸らす
という
最大の批評
というようなことを
書いていた
そこから
ちょっと目を逸らして
それを見ない
もっとも紳士的で
もっとも優しく
もっとも決定的な批評は
これだ
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