かつて加わっていた労働組合では
委員長が
どこでも平気で放屁していた
大学から駅までいっしょに歩きながら
労働問題や
次の団体交渉の段取りなど話していると
ここの曲がり道や
あそこの交差点の角で
というぐあいに
ブィとか
ビビビとか
放屁していた
森のわきの
しずかな道を歩いていても
ブィとか
ビビビとか
彼の放屁音が響いたものだ
わたしにはこれが不快だったが
それでも
放屁のような小さな生理現象ぐらいで
ひとを悪く思ったり
批判的に受けとめたりするのは
こちらの器が小さすぎると思わされもするので
はっきりとは非難しなかったのだが
それでも
他人のいる前で
平然と放屁をし続ける精神には
この人物に深く潜む
社会的な欠陥の内在が思われた
たいていの社会では
他人がいる前での放屁を
違法ではないものの
微妙にマナー違反っぽい扱いにしていて
避けられるべき行為としていた
この扱いようがいかにもビミョーで
はっきりした言語化のなされた状況研究のたぐいは
あまり見られないように思われた
力んだときにうっかり洩れてしまう
プッ型の放屁は
どこの社会でもまあまあ是認されていて
放屁者が恥ずかしそうにしたり
小声で「失礼」などと言ったりするのを周囲が確認することで
いちおうの制裁が成されたものとして
いいかげんに処理されていくのが
意図せぬ放屁におけるたいていの社会的処理形式と思えた
ところが
本人が意図的に放屁を行ない
まわりに他人がいるのに
ブィとか
ビビビとか
高らかに
ほがらかに
屈託なく音を響かせるとなると
社会としては
そう簡単に是認できるような事態ではなくなる
少なくとも
周囲にいる他人たちとしては
なんだ?
こちらだって抑制しているのに
このあっけらかんとした
ブィとか
ビビビとかは?
と
心は剣呑な方向に動いていくのである
かといって
あくまで自然な生理現象であるには違いなく
暑い日に額に汗を浮かべるひとを非難するのが異常であるように
腸の内部での消化の都合で発生するガスを
外部に排出しようという自然な身体の運動に対して
調整だの抑制だの禁止だのをがなり立てるのも
いかにも大人げないというか
非人間的というか
非現実的というか
少なくとも
器のちっぽけな情けない人品の持ち主であるのを示してしまいそう
心のなかにグッと飲み込んで
素知らぬ顔を装うことになってしまいがちとなる
ここのところに
あらゆる人間社会と人間心理の根幹をなす全問題が集結している
と
わたしは結論し
人類放屁学を打ち立てる決断をしたものであった
最初は放屁現象学から研究を開始し
基礎放屁学を地道に進めながら
放屁精神学
放屁心理学
放屁精神分析学
放屁民族学
放屁民俗学
腸の専門医学者であるガスパール・デルッチョ博士とともに
臨床放屁学
放屁実践学
放屁演習学
なども確立したのち
社会的にようやく注目されることになった結果
さまざまな出版社から
『放屁の科学』
『放屁春秋』
『放屁公論』
『放屁街道』
『放屁画報』
『週刊放屁』
『新日本放屁』
『PPP』
『3分おなら』
『放屁セブン』
『放屁自身』
『ベストピー』
『放屁之友』
『NHKきょうの放屁』
『週刊放屁経済』
『オール放屁』
『ブイーダス』
『屁楽』
『ピーman』
『ブヒmagazine』
『ku:dasu』
『おならの手帖』
『芸術放屁』
『おならにいいこと』
『淡屁』
『おならクラブ』
『旅行放屁』
『おならの達人』
『snooピー』
『おならマガジン』
『小説放屁』
『週刊ダイヤ放屁』
『JTB放屁表』
『ダスコト』
『屁界』
『屁論』
『おならのきもち』
『bibiko』
などを出してもらえるに至った昨今
時代のよりよき方向への進化とともに
わたしの視点の正しかったことや
努力の徒労で無かったことなどを思うと
それなりの感慨というものもある
もちろん
これらはあくまで
人類放屁学という小さな領域のうちに留まるものであって
わたしとしては
このあたりに留まって安住しているわけにはいかない
動物放屁学を気鋭の動物学者たちに任せるとともに
さらに生物放屁学や
鉱物放屁学
無機物放屁学
地球放屁学
宇宙放屁学ばかりか
オカルト放屁学
放屁宗教学
秘数放屁学などまでも
少しでも急いで
研究領域の拡大を行なわないといけないだろう
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