(夢のなかで
(この世とこの世以外のことについて
(はっきりと
(教えを受けるようになった
(教えを受ける
(といっても
(一方的なものではない
(対話篇のように
(会話しながら
(双方から歩みよって
(よりよい表現を
(見つけていく感じがある
(ときには
(この世以外のことをよく知らないはずの
(わたしのほうが
(より正しい表現や
(わかりやすい表現を提示できることもある
(この世とこの世以外
(などというと
(もちろん
(ちょっと違ってしまう
(しかし
(いい呼び方や分け方というのは
(なかなか見つからないので
(こう言っておく
現実界とされているところは
いわば
海のなかのようなもの
そこへは
「入っていく」とか
「潜っていく」という言い方が
ふさわしい
浅いところならば
はだかで入っていけるけれど
深いところへは
しかるべき服を着なければ危ない
もともと現実界にいない者には
現実界は異界なので
そこの脅威から身を守るために
心と肉体という服を着る
それらを着なければ
あまりに危険が大きすぎて
現実界へは「潜って」はいけない
心と肉体という服は
同時に
重しでもある
かなり重いものだし
扱いのめんどうなものでもあるが
その重しがなければ
とてもではないが
現実界へは
「潜っていく」ことはできない
眠っているときは
現実界から浮上して
心と肉体という服から抜け出ている
眠りには複数のパターンがあるため
あくまで
ある種の眠りかたをしているときは
という限定付けが必要だが
現実界にいる者たちは
思考や思念や精神や概念や言葉などを
ほとんどの場合
ただしく定義して使えていない
各人各様に使っており
勝手な使い分けをしているので
多くの賛同を得られるような使用法は
まず確立されない
そのため
考えや思念や思考を
心や肉体と異なったメタレベルのものだと
主張する者たちもいる
しかし
考えというものは
いわばレンガやタイルのようなものだと
思ったほうがよい
それらはむしろ疑似物質であって
精神という言葉でひとが表現したがるような
はっきりと肉体から離れたものとは違う
あくまで
物質界からの反応として生じた疑似物質であって
霊とか精神とはまったく異なっている
断言を避けるために
言い方を変えてみよう
霊や精神と呼びたくなる境域にも
重く物質性の強いものから軽く物質性の希薄なものまで
さまざまな階層がある
考えや思念や思考は
重く物質性の強い層で形成され使用されるとはいえる
しかし
これについては
ほかの言い方もできるので
あくまで
これはひとつの表現の例にすぎない
現実界
という言い方を
ここではしてきたが
この表現には大きな問題がつきまとっている
人間と自認する者たちは
肉体と心とを持って彼らが滞留する場を「現実」と呼びたがるため
現実界というのは
あくまで
彼らのそういう癖に寄りそった言い方をしているにすぎない
彼らが「現実」と呼ぶもの
ここで
とりあえず「現実界」と呼んだものは
実際には
「現実」という言葉が持つ意味あいにはふさわしくないような
非現実性によって編まれている
これは
表現するのがひじょうに困難なので
今回は
ここには踏み込まない
ひとつ
よく認識しておくとよいのは
ふつう
やっかいで面倒なものと見られがちな「肉体」や「心」が
実際には
現実界からの脅威を防ぐための
すぐれた服であることだろう
この服のおかげでのみ
現実界への潜水が可能になっている
この程度のことであっても
「肉体」や「心」について認識を変えておくことは
今後のよりよき活動のために益があるだろう
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