「ほめらるるは仕合なれど、それは道しらぬ人の説なり。」
(ほめられるのはうれしいことですが、
それはわかっていないひとの言っていることです)
有名なことばで
小堀遠州の教えとして
不住斎竹心紹智の『茶話真向翁』に記されている
小堀遠州に橘屋宗玄といふ人の曰く、
「利休とても貴公の物好には及ばざりしか。
体の見立てられし名物などいふも、
猶今みれば人々の好きらひ有り、
公の見立給ひしはいづかた何れの人も一人としてすかぬ物なし、
と世人こぞりて称する」
よし申ければ、
遠州うなづきて、
「ほめらるるは仕合なれど、それは道しらぬ人の説なり。
利休は我一風面白しと思ふままには新古軽重にもよらず、
かはらけの様なる物も茶に出し、名を付置れしに、
その時代は更なり今の世にいたりても名物などいひて賞翫するは、
居士の大徳にあらずや。
我等とても自己の道具には一風茶を出して
心のままに人の好むまじき物をももてあつかふ類ひ有り。
大名小名のかたがたに頼まれて見立てる物は
何とぞそのぬしの心にかなひ、
誰々が目にもきらふまじきをと僉議するなり。
これは人々の機嫌を見立るといふ物なり。
居士の高風にくらべいはん事
天地懸隔をかしき事ぞ」
と答られしよし。
小堀遠州に橘屋宗玄という人が言った。
「利休とてもあなた様の鑑識眼には及ばないでしょうな。
利休が見立てた名物といっても、
いま見れば、好きな人も嫌いな人もいます。
あなた様の見立てたものは、
だれひとり、
世の中のひとびとはこぞって、そう賞賛しています」
と申し上げたら、
遠州はうなずいて、
「ほめられるのはうれしいことですが、
それはわかっていないひとの言っていることです。
利休は自分が一風面白いと思ったら、
新しくても古くても、
軽視されているものでも、重視されているものでも関係なく、
土器のようなものであっても、茶に出して、名前を付けておかれた
その時代でもそうですが、
今の時代になっても名物などといって珍重されているのは
利休居士の大徳というものではないでしょうか。
私たちでも、自分の道具には、茶心を出して、
自分の心のままに、
人が好かないであろうものでも揃えることがあります。
大名小名から頼まれて見立てる物は、
何とかその人の心にかない、
誰の目にも嫌われないようなものを、と考えてしまいます。
しかし、これは人の機嫌を見立てているということです。
利休居士の高いすぐれた人柄に比べて言うなど
天と地ほどの違いで、おかしいことです」
と答えられた、という。
『茶話真向翁』は
茶家の藪内家の五代
不住斎竹心紹智(1678-1745)が記した
美濃大垣の医師南條玄斎の末子で
四代の蕉雪斎の女婿として藪内家に入った
学識高く文才があり
茶道の正邪を論じた『真向翁』ほか『源流茶話』など
18巻の著述がある
邪道に堕した茶道を嘆き
門を閉じて世俗との交わりを絶ったが
正徳4年に織部100回忌
享保11年に剣仲100回忌
元文5年に利休の150回忌を勤めた
北野天満宮万燈会での献茶も手造りの茶碗で勤めた
ところで
藪内家の流祖の藪内剣仲紹智は
武野紹鷗の最晩年の弟子で
「紹」の一字を与えられた
兄弟子だった千利休の勧めで
大徳寺の春屋和尚に参禅し
「剣仲」の道号を授かっている
剣仲は千利休や古田織部との親交が深く
利休からは茶室「雲脚」を受け
織部からは茶室「燕庵」と露地・表門等を受けた
0 件のコメント:
コメントを投稿