下町は人情が厚いというが、個人差はある。
野口冨士男 『冬の逃げ水』
きまじめに参加するのではなくても
ふらふらと
祭りには引き寄せられていって
野次馬してくるのが東京っ子というものなので
祭りの増えてくる初夏からは
まことに忙しくなる
梅や桜の開花からこのかた
いろいろな花が咲き出すので
花を見て歩きまわるだけでも忙しい
週に二三度は
昼前から歩き出て
夕がたや夜まで
東京のどこかを歩きまわっている
三社祭ということで
浅草や蔵前にも二日間出かけたが
表通りだけでなく
あちこちの裏道から
御神輿をかつぐ声やお囃子が聞こえてきて
そうすると
そちらのほうへ歩みを変えて
というのをくり返すうち
一万歩や一万数千歩などは
すぐに歩いてしまう
この頃
腰や背がちょっと凝っているのも
故なしではないわけだ
浅草では
毎度のことだが
路上で煙草を平気で吸っているひとが多い
路上喫煙禁止などなんのそのなのだ
道路わきなどもちろんのこと
車道に腰を下ろして駄弁っていたりする法被姿が
自然な風景のように当たり前なのも
浅草ならではだ
こういうところが好きで
浅草に行くとホッとする
ぼくは煙草を吸わないのだが
他人が吸っている煙草のかおりがするのが
気持ちよくてしょうがない
昔のように
どこでもかしこでも
だれもかれもが煙草を吸っていて
始終モクモクとやられているとヤニ臭さが嫌だったが
いまの時代はめっきり吸うひとが減って
他人の煙草が臭ってくるといっても
ほんのりとしてかわいいものだ
そうなると
どこかからにおってくる焚火のにおいのように
郷愁さえ感じる
それにしても
浅草というのは頑固に野蛮さや不穏さを保持していて
おなじ東京っ子にとっても
めんどくさい連中の集まっている場である
なにかというと突っかかってくるし
否定してくるし
どうでもいい自我をむき出してくるし
とにかく反抗的である
ぼくの精神的素地は母方の山の手育ちなので
多くの山の手育ちが
ときおり下町連中を真似たがる程度に
隅田川周辺や川向こうの連中の習俗も取り込むのだが
浅草連中のあの傍若無人の唯我独尊性には
ときどきかなりムカつく
相手にあわせてそこそこ穏やかに立ちまわる山の手育ちは
端から下町をバカにしてかかっているのだが
もともと山の手など明治維新で成り上がった連中の下っ端や幇間の
なれの果てのようなものなのだから
歴史をふり返ればカッコつけていられるものでもない
江戸っ子としてもっと由緒ある乱暴さを保持した
下町や浅草系の連中のほうにぶがあるといえるだろう
東京に来ても平気で大阪弁をしゃべり続ける連中を
なにがあっても絶対に許さないのは
まず第一に浅草精神であろうし
なにかというと東京を見下そうとする京都ふぜいに
はじめからバカにし切って鼻も引っかけないのも浅草精神だろう
これは実地に浅草に行って長い時間徘徊してみないと肌感覚でわか
地方の人間は
なにかというと東京をひとまとまりにして
東京は、東京は、東京は…というが
東京ッ子はとてもひと括りにはできない相互対立の連中だし
地方のことは徹底して見下しているし
京都人のように皮肉な表現さえ口にしないながら
なにがあっても決して目の前の他人を認めない連中で
ここのところの恐ろしさは
東京ッ子としてたまには地方人たちに教えてやりたくもなる
浅草とその周辺に住んでいない東京ッ子は
浅草をバカにしているし不快に思っているし毛嫌いしているが
それでも
ときどき浅草に行ってみて
なんとなくいい気持ちになるのは
この場所が徹底した東京至上主義の象徴で
東京右翼中の最右翼だからだろう
京都や大阪やその他の地方とマジで戦う際には
浅草は東京感性の拠点となるのだ
浅草だなア
浅草だよなア
と違和感ミチミチさせて歩きながら
ひさご通りの八百屋では
柑橘類を安く売っていたので2パックも買い
ついでにひと束100円の蕪も買い
どんな時もつねに持ち歩いている買い物用トートバックに入れて
重いのもかえりみずに浅草からは帰ってきた
柑橘類好きのぼくには
当てもなしに東京のほっつき歩きをしているうちに見つける
安い八百屋や果物屋は貴重で
見つけたら即買いが鉄則
そこで買い逃すと
後でかならず後悔する経験も
もう何度も重ねてきた
浅草とその周辺は
どうやら
日用品を安く買おうとする際にも
東京ッ子御用達になってくれそうでもある
もちろん
観光客だましに高値を吹っかけている下らない土産物などは
端から無視
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