Comment s’étaient-ils rencontrés ?
Par hasard, comme tout le monde.
Comment s’appelaient-ils ?
Que vous importe ?
D’où venaient-ils ?
Du lieu le plus prochain.
Où allaient-ils ?
Est-ce que l’on sait où l’on va ?
Denis Diderot
《Jacques Le Fataliste Et Son Maitre》
フランスに
あんなにたくさん行っていたのに
いつから
行かなくなったんだったっけ?
円安で海外に行きづらくなったのなど
なんのその
というぐらいに
飛行機に乗ってどこかへ行く気がすっかり失せてしまったのは
いつからだっけ?
明解な答えを
ちゃんと持っていることに
ふと気づき
驚いてしまうとともに
じんわりと
懐かしさに浸った
21世紀に入ったはじめの頃
いつもの夏のように
エレーヌとぼくはフランスに経ち
曖昧にしか目的を定めない
2ヶ月ほどの滞在をした
旅程のなかには
エレーヌの故郷のロゼール県訪問も入る
ロゼール県の町サンシェリー・ダプシェには
エレーヌの妹の家族がいて
その家に何日か滞在してくる
フランスのチベットとさえ呼ばれる高地のそこは
ぼくにはいろいろと面白く
ただのらくらと歩きまわるだけでも
飽きることはなかったが
エレーヌは嫌った
故郷を彼女ほど嫌う人間はいなかった
それにくわえて
妹やその家族といっしょにいるのを
エレーヌは嫌った
彼女の興味を占めているのは
神秘主義やオカルトのさまざまだけと
くわえて
それらの考察に表象機能を提供しうるような
若干の文芸や芸術ぐらいのもので
そういった一切にこれっぽっちの関心も持たない血縁を
ほんとうに嫌った
しかしエレーヌはそういったことを
けっして彼らには悟らせないようにしていたので
彼女の本音を知っているのは
ぼくひとりだった
この時の旅でも
着いたその日の夕方には
「もう耐えられない。あした出発します!」
とぼくに言うので
「今日来たばかりでそれはないよ。
明後日ぐらいまでは居て
それから地中海のほうへ下ろうよ」
とぼくは答えた
エレーヌがサンシェリー・ダプシェに行ったのは
ほんとうに
これが最後だった
2010年に死んだ後で
骨になってその町の墓地に戻っていくことになったが
あれほど故郷を嫌った彼女が
いくら墓地だからといって
あそこに安らかに眠ったりするわけはない
ともあれ
これがエレーヌのフランス帰りの最後の夏で
エレーヌとぼくのフランスめぐりの最後の夏となった
エレーヌはその後死ぬまでの8年ほどを
二度とフランスに戻らなかったし
二度と日本の外に出ることはなかった
話はこれで終わらない
その最後のフランス行きから帰った後で
フランスのあまりのつまらなさに
エレーヌもぼくも辟易してしまった
「ねえ、フランスって、もうつまらなくない?」
「そう、もう要らない世界って感じました」
こんなことを言うほどに
ふたりともうんざりし切ってしまったのだった
そうして
気持ちを取りなおすために
秋のはじめ
奈良や明日香にふいに旅だったのだったが
これが大成功だった
これまでフランスの旅に求めてきていたものが
明日香やその周辺にこそあったのだ
秋に入って黄金色になった稲穂の揺れるなかを
岡寺へと歩いて行ったことや
秋とは言え残暑がすさまじく激しくて
その頃ぼくがいつも着るようにしていた黒いTシャツでは
汗が出たり乾いたりをくりかえして白くなってしまうので
奈良の町のスーパーマーケットで安売りしていた
白いTシャツを買って
さっそく着替えたりしたが
思い返せば
ぼくが黒いTシャツを着なくなったのは
その時からだった
Tシャツは黒でワイシャツはブルーと決めていたのを
Tシャツは白でワイシャツも白に替えることにしたのも
この時から始まっている
土地や地域についてのエレーヌの関心は
この時から日本国内だけになった
もうフランスはわたしには終わりました
と言ってさえいた
話はまだ終わらない
エレーヌの死後
ぼくは何度もパリに行った
とはいえ
なにもすることはないし
ほしい本はもう何万冊も買ってしまっているし
とにかく残りの人生はそれらを読むことで埋まっていくし
もうパリには目的とするものもないので
行ったとしても
ふらふらとセーヌ河畔を行き来してみたり
ちょっと治安の悪い地区に踏み入って
小ぎれいになどしていない地元のパン屋に入って
日本人が抱くパリジェンヌのイメージにはぜんぜん嵌まらない
髪の毛のハゲかかった眼鏡のオバサンから
安いけれどけっこううまいクロワッサンや
ブリオッシュやバゲットを買って
歩きながら食べたり
パン以外のものも欲しいかなと思うと
ビミョーに衛生的に問題ありそうでもあるどこかの惣菜屋で
プラスチック容器に入った
クスクスとかタブレの安いのを買って
公園のベンチか橋の石枠などに座って
ゆっくり食べたりする
コーヒーもあってもいいが
2ℓのミネラルウォーターを持って歩いているので
外をほっつき歩きながらのランチなどは
水でじゅうぶん
どうせ夜はどこかのレストランに入って
デザートで分厚いタルトを食べながら
濃いコーヒーを飲むに決まっているのだし
でも
たったひとりで
タブレとパンを交互に食べながら
ぼくは思い出したものだ
1980年代から90年代の頃
日本円がやけに高くなって
フランスに旅人としてやって来ると
コーヒーなんか一杯80円ぐらいの勘定になったので
あちこちのカフェにちょっと座っては
ひといき入れながら
水のようにいっぱい飲んだものだった
エレーヌはきまって
いつも持っている煙草のゴロワーズを吸い
両切り煙草なものだから
唇に刻んだ煙草の葉がくっつくので
それを指で抓んで取ったり
ときどきはプフィっと吹いて飛ばしたりした
ぼくもエレーヌにならって
ゴロワーズばかり吸うようになり
あの納豆のような
独特の味をひとしきり味わった
そうして
また
ふたりして立ち上がり
歩き出したものだ
ぼくらふたりのしているのは
いつも
期間を区切っての放浪の旅みたいなものだったから
どこへ行くかわからないが
どこへでも行くつもりで
歩き出したものだった
そうして
そうして
ああ!
いつも
ディドロの『運命論者ジャックとその主人』の冒頭を
思い出したものだ
「彼らがどんなふうに出会ったかって?
偶然からさ、誰だってそうだろう?
彼らがどんな名だったかって?
それが重要かい?
彼らはどこから来たかって?
いちばん近いところからさ。
彼らはどこへ行くかって?
ひとがどこへ行くかなんて、わかるもんかよ。」
いまでも
この冒頭を思い出し続けるものだから
話はまだまだ終わらない
終わるわけがない
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