僕には偏見というものがない。平等にみんなが嫌いなんだ
グルーチョ・マルクス
I am free of all prejudices. I hate every one equally.
Groucho Marx
世の中をみまわしてみると
あれがおもしろい
これがおもしろい
それがすてきだ
あんなのもすごい
超いけてる
みごとだ
ハマっちゃう……
などと
かしましいことだけれど
わたしには
じつは
おもしろいことなんかひとつもないし
すてきだと思うものもひとつもないし
すごいかもしれないけれど時間を費やすほどのものとは感じないし
超いけてるなんてぜんぜん思えないし
みごとというのも相対的なものだろうし
ハマっちゃうなんて浅薄な人生経験だからこそ思える虚妄だよね
としか思えない
あれやこれやそれやについて
おもしろいふりをし続けて
もう何十年だろう?
ただ飽き飽きし
うんざりし
表立って「つまらないんだけど」と表明するのも大人げないから
なんとなく大人の事情的に幼時からつき合ってきているだけで
ほんとは
ほんとに
なにもかもがつまらない
で
なにもかもがつまらないし
すぐ飽きちゃうし
うんざりしちゃうし
というわたしのような者は
チープな町内会のお祭りをえんえんと続けているような世の中では
非常に盛り下がる系の人間なので
しかたなく本音を隠して
いつも曖昧になんとなしの微笑を浮かべているだけ
ことばを並べて
さびしく
ぐたぐたと
あるいは
ポツポツと
じつはなんにも言いたいことなんかないのに
まるで詩歌や散文のように見えもする書き方をしていても
そもそも詩に興味はないし
とりわけ現代詩なんかこの数十年読みもしていないし
短歌や俳句だって
むかしちょっと気を惹かれたことはあったものの
もうルーティーンの紋切り型芸道としか思えなくなっていて
じつは二十年ほど前から
「現代短歌のつまらなさ」
まったくもって
ああつまらないつまらないつまらない
ああ見え透いている見え透いている見え透いている
としか思わなくなっている
短歌にはすごい時代がちゃんとあって
やはり古典短歌はどれもすごいものだとわかるのが
近代以降の短歌を読むことの唯一の利点かもしれないが
ようするに古語こそが価値ある日本語
ということだろうと
もう
とうのむかしに結論している
それでも
ぐたぐた
どうこう言いたくなりながらも
こんなふうにことばを並べて気を遣りたがるのも
ことばの不思議さ
から来るものなのかもしれない
ことばを並べてみて
はじめて
感情も思いも迷いも落胆もうんざり感も
鏡にじぶんの顔を映したように
確かめられる
ことばを並べてみないかぎり
感情も思いも迷いも落胆もうんざり感も
確かめられず
つまりは
存在しない
いろいろな論理展開の文脈は無視して急所だけ言えば
ことばを詩歌や散文から解放せよ
ということ
ことばにことばさせろ!
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