元日の猫に幹ありよぢ登る
西東三鬼の句だが
読んで
以前住んでいたところの近くの
どこかの会社の寮の庭を思い出した
芝生に
いくつも木が植えられている
梅のいい木もあって
春先にはずいぶんと花を咲かせた
その地に越して
ほどない頃
季節はいつだったか
まだ夕方にならない早い帰宅時のこと
わたしの後ろから猫がたいへんな勢いで駆けてきて
わたしを追い抜いて
その会社寮の庭に走り込んでいったかと思うと
背の低い松の木に一目散に駆け上がって
途中で止まり
幹を両の前足で
たいへんな勢いでガリガリ引っ掻き出した
しばらく引っ掻いたかと思うと
バタッと木から飛び降りて
また一目散に庭から駆け出て
道路を渡ると
むこうのどこかへ走り去ってしまった
ただそれだけのことなのだが
どうしてあの松の木なのか
どうしてあんなに急いで飛びついて引っ掻いたのか
その時もわからなかったが
あとになってもわからず
わからないまま
そこを通るたびにその松の木を見ては思い出し
滑稽なまでに一目散だった猫の様子があざやかに浮かんで
いつも自然と笑ってしまう歳月が続いた
もう引っ越してしまって
その松を見ることもなくなったが
今では他の地でちょっと背の低い松を見ると
どんな松であれ
自然と笑い顔になってしまうのだから
松のほうも迷惑だろう
松のせいではないのだが
わたしのせいでもないのだから
松は気を悪くしないでいてほしい
カミュの『異邦人』でムルソーは
「私のせいではないんです」というが
まったくもって
わたしのせいではないのだ
なにもかも
あの猫のせいだ
「太陽がまぶしかったから」ではないが
あの猫が一目散に松に飛びついて
たいへんな勢いでガリガリやったせいなのだ
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