2021年1月1日金曜日

つかまっていることだけはできた

 

 

言葉はどれも

だれかが

書きつけたか

発したもの

 

それがだれであるか

それがなにを伝えるか

なにを含有するかで

ひとは受け入れたり

訝しんだり

難じたり

拒絶したりする

 

しかし言葉は

たゞ言葉であるだけでも

海上を漂う木板や

頼りがいある木の柱のようなもの

どこかの陸地や

灯台のあかりが見えるまで

とにもかくにも

つかまっていることだけは

できるもの

 

十六歳のとき

イギリスへの旅のさなか

ストラトフォードで

ホテル勤めの日本人に会った

風采のあがらない痩せたひとで

偉い立場ではなかった

それどころか部屋掃除や

あれこれの雑役だけをしていた

日本の雑誌は持っていないか?

新聞でも本でもいい

なんでもいいから日本語の

活字を持って来ていないか?

そんな意味のことを言われたが

あげるわけにはいかない辞書と

ガイドブックしかなくて

彼をがっかりさせてしまった

 

日本人だというのに

このひとの日本語はもう

崩壊しつつあった

カタコトの外国語のように

なんとか作文するのだが

もう日本人の話す日本語では

なくなってしまっていた

ニホン、ハナレタ、モウ、20ネン

マワリ、ニホンジン、イナイ

ニホンゴ、ウエテイル

ドンドン、ニホンゴ、ワスレル

そんな意味のことを聞かされながら

日本語が滅びていくさまを

目の前のひとりの男に見ていた

言葉が滅びるということがあるのだと

十六歳にして見せつけられた

 

イギリスにいるのだから

英語さえわかればいいだろうに

などとも思ったものの

高度な英語に習熟してはいないらしい

日々の労働のなかでは

英語も上達させられないらしい

いったいなんのために日本を出て

イギリスのこんなところに来たのか

英語さえろくに学ぶ時間もとれずに

労働に明け暮れていく生のさなか

このひとの中で滅びていく日本語は

たぶんイギリスという異国で

よりよく生きのびていくすべさえ

滅ぼしていこうとしていた

 

そう、言葉は

たゞ言葉であるだけでも

海上を漂う木板や

頼りがいある木の柱のようなもの

どこかの陸地や

灯台のあかりが見えるまで

とにもかくにも

つかまっていることだけは

できるもの

 

わたくしも

とにもかくにも

言葉たちにつかまってきた

どこの陸地も

灯台のあかりも見えなかったけれど

言葉たちには

つかまってきた

 

つかまっていることだけは

できた






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