言葉はどれも
だれかが
書きつけたか
発したもの
それがだれであるか
それがなにを伝えるか
なにを含有するかで
ひとは受け入れたり
訝しんだり
難じたり
拒絶したりする
しかし言葉は
たゞ言葉であるだけでも
海上を漂う木板や
頼りがいある木の柱のようなもの
どこかの陸地や
灯台のあかりが見えるまで
とにもかくにも
つかまっていることだけは
できるもの
十六歳のとき
イギリスへの旅のさなか
ストラトフォードで
ホテル勤めの日本人に会った
風采のあがらない痩せたひとで
偉い立場ではなかった
それどころか部屋掃除や
あれこれの雑役だけをしていた
日本の雑誌は持っていないか?
新聞でも本でもいい
なんでもいいから日本語の
活字を持って来ていないか?
そんな意味のことを言われたが
あげるわけにはいかない辞書と
ガイドブックしかなくて
彼をがっかりさせてしまった
日本人だというのに
このひとの日本語はもう
崩壊しつつあった
カタコトの外国語のように
なんとか作文するのだが
もう日本人の話す日本語では
なくなってしまっていた
ニホン、ハナレタ、モウ、20ネン
マワリ、ニホンジン、イナイ
ニホンゴ、ウエテイル
ドンドン、ニホンゴ、ワスレル
そんな意味のことを聞かされながら
日本語が滅びていくさまを
目の前のひとりの男に見ていた
言葉が滅びるということがあるのだと
十六歳にして見せつけられた
イギリスにいるのだから
英語さえわかればいいだろうに
などとも思ったものの
高度な英語に習熟してはいないらしい
日々の労働のなかでは
英語も上達させられないらしい
いったいなんのために日本を出て
イギリスのこんなところに来たのか
英語さえろくに学ぶ時間もとれずに
労働に明け暮れていく生のさなか
このひとの中で滅びていく日本語は
たぶんイギリスという異国で
よりよく生きのびていくすべさえ
滅ぼしていこうとしていた
そう、言葉は
たゞ言葉であるだけでも
海上を漂う木板や
頼りがいある木の柱のようなもの
どこかの陸地や
灯台のあかりが見えるまで
とにもかくにも
つかまっていることだけは
できるもの
わたくしも
とにもかくにも
言葉たちにつかまってきた
どこの陸地も
灯台のあかりも見えなかったけれど
言葉たちには
つかまってきた
つかまっていることだけは
できた
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