2021年3月2日火曜日

覚醒時意識 夢意識 発話時意識 記述時意識

 

 

夢を見ている際にも意識があるが

誰でもわかっているように

その意識は覚醒時の意識とは違っている

違ってはいるが同じ部分も多く

そのために覚醒時にも

夢の中で展開されていた意識内容を

かなりの歪みを伴いつつも

ある程度は取り出すことができる

便宜上夢の中での意識を呼ぶのに

夢意識と呼んでもいいかもしれない

 

そもそも夢の中で機動する自我は

覚醒時に機動している自我とは異なっている

私は夢の中で亡霊だったこともあるし

鼠や他の動物だったこともある

ふつうの人間とは違う動物や生物の自覚があって

しかし思考する時や行動する時には

覚醒時の意識が慣れている言語を用いる

そうした言語を夢の中の脳内で使用しているため

覚醒時にも夢の中での経験が

言語化されうるかたちで伝送できる

 

意識のことを考えようとすると

不変の意識状態がつねにあるものと考えがちで

それが覚醒時には覚醒時なりの動き方をし

夢を見ている時にはそれなりの動き方をすると

自然に考えようとしてしまう

しかし不変の意識状態がそもそも存在せず

覚醒時と夢見時との意識はすでに別種のものとして

最初から考え直す必要もあるかもしれない

覚醒時意識と夢意識といった概念で考察するならば

それだけで見え方は大きく変わりはじめる

 

言語を用いる時にいつも感じてきたのは

発話の際にも文字並べの際にも

意識は単なる覚醒時意識ではなくなることだ

特に文字を記していき続ける時

ふだんの意識では見えない/わからないものが

どんどんと視野に入ってくる経験はないだろうか

文字並べが魔法の類や麻薬使用の類なのだと

私はたびたび記してきたが

これは大げさな馬鹿げた表現でもなければ

妄想を拡大してフィクション化しようとするものでもない

 

覚醒時意識があったり夢意識があったりするように

発話時意識というものがあり

記述時意識や文字並べ時意識というものがある

本来実体を持たず空虚な器や指示でしかない

言葉という象徴を他者とのやりとりなしに用いる時に

単なる覚醒時のものとは異なる魔界が開かれる

象徴は記号とは全く異なっていて

ユングによるならば「意識には理解できない何か」*であり

「現在の段階ではいまだ理解できない何かの

可能なかぎり最良の表現」である

 

 



*マレイ・スタイン『ユング 心の地図』(入江良平訳、青土社、1999)p.117

Murray Stein Jung’s Map of theSoul : An Introduction, 1998





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