1998年8月11日朝
新宿駅へむかうべく
下北沢駅から乗った小田急線車内で
自分にとっての理想を完全に体現した女性に
わたしは出会った
30歳ぐらいの年齢で
赤ん坊を抱いていた
人妻なのだろう
しかし
顔も体つきも
身振りやしぐさの雰囲気も
これ以上はあり得ないほどの完璧さで
わたしの理想そのものとなっていた
というより
この女性を目の前にしたことで
はじめて
じぶんの内にこういう理想像が眠っていたことに
気づかされたのだった
もちろん
声などかけられない
赤ん坊を抱いた若い母親に
これからあなたと生きていきたい!
などとは
頼むわけにはいかない
しかし
こういう瞬間が起こったことで
人生の泉から
新鮮な水をじかに汲めた気がした
ときどき気づかされるように
人生はやはり
わたしの読み解けない謎の裏地の上に
縫い上げられているのだ
新宿駅に着いて
もちろん
この若い母親の後など追わぬまま
わたしは中央線ホームの先頭のほうに向かい
そこで歌人の坂本久美と落ちあって
ともに東京駅へ向かった
11時30分発の踊り子号185号6号車に乗って
川津温泉のリバーサイド川津へ向かった
石油業界の父を持つ坂本久美は
石油健保の保養所だったこの宿にわたしを
伴ってくれたのだった
川津温泉会館まで歩いて
温泉に入ったり周辺を歩いたり
他の日には
下田をながながと歩いて観光したりしたが
わたしは一時も
小田急線内で出会った女性のことを忘れなかった
あの女性の顕現によって
わたしの意識は完全に変質してしまい
それまでの日常には
もう戻れなかった
いっしょにいる坂本久美の姿も
ともに見る伊豆の風景も
料理のあれこれも
温泉の湯の揺れや湯気の流れも
とうの昔に過ぎ去ってしまった過去の
臨場感がありはするものの
思い出を構成する映像の
長いひとまとまりのシークエンスの流れに
過ぎないようだった
誰かと待ちあわせすると
よく
このような予期もしない出会いが
わたしの生には起こる
1998年の8月11日の場合
わたしは約束どおりに坂本久美と行動をしたが
そうしないで
出会った未知の人のほうを選んだことも
多かった
わたしが放り出した人たちが
平行時間のいくつかの流れの中では
世界のあちこちで
いまだに
わたしを待っていたりする
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