渋谷東急文化会館の一階にあった喫茶店は
「フランセ」ではなかったか
と
格別の注意をして思い出すでもなしに
ぼんやり思ってきたが
「ユーハイム」だったらしい
しかし
文化会館のとなりには
やはり
「フランセ」があったというから
そちらの名前が印象に残って
記憶の中で会館の一階に移動したのだろう
1980年代と90年代はわたしには渋谷の時代で
住んでいた下北沢周辺と渋谷だけで
たいていの用は足りていた
毎日のように見る風景の一部を
東急文化会館が占めていた
天文少年だった子どもの時には
八階の五島プラネタリウムが憧れの場所だったが
それ以外ではあまり馴染みのないビルではあった
80年代も90年代も
会館には行くべき店もなかったので
ほとんど馴染みはなかったが
あのビルの前で待ちあわせをするのは便利だったので
意識の中では欠くことの出来ない指標ではあった
いちど「ユーハイム」で
エレーヌと長くおしゃべりしたことがあった
まだ一緒に住む前で
魂や霊や超常現象や神秘主義の話をするうちに
閉店時間になった
そのような話で何時間も同じ店にいて
やはり閉店時間までいたのは
渋谷パルコの愛山通り側の「マ・シャトレーヌ」もそうで
シャトレーヌは女城主や大別荘の女主人という意味だと
フランス人の彼女から教わった
建物とともに
東急文化会館の「ユーハイム」も
パルコの「マ・シャトレーヌ」も
もう消滅しているので
わたしが意識を向ける時に開扉してくれるわたしの記憶だけが
これらを所有保管している
物質的な痕跡を失い
時間的な束縛からもすっかり解放されても
なおも記憶のうちに存在する情報は物語や図像の領域にのみ属する
こうして物語ははじまる
物質界と時間界から放擲されたところから
物語と図像は本当にはじまる
東急文化会館の前で
2001年4月28日21時30分
歌人で書家の坂本久美と待ち合わせをした
放送作家やニュース短信の仕事もしていた坂本は
時間を問わず原稿書きに追われていて
ノート型とはいえ重いパソコンをリュックに入れてきていた
学生時代にバレー部の選手だった大柄な彼女が疲弊し切っていた
簡単な食事がいいというので大戸屋で定食を食べ
時間もあまりないがその後オレンジジュースが飲みたいというので
モスバーガーに入って少し話そうということになった
しかしジュースを飲みながらしばらく話すうち
疲れて気分が悪いのでもう帰ることにすると言い出し
また今度ゆっくり話したいから連絡する
今日がせっかく時間をとってくれたのにゴメンなさい
ということになって
疲れ過ぎていて電車では帰れないからと
大通りに出てタクシーを拾って帰っていった
それ以降
坂本久美からの連絡は絶え
数年後
共通の知りあいから
坂本久美は進行のはやい胃癌で2001年に死んだ
と聞かされた
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