ユングの象徴概念を
マレイ・スタインがパラフレーズする記述を通して
ひさしぶりに再考しているうち
日本国憲法の「天皇」条項を思い出した
マレイ・スタインの記述をまず見ておこう*
象徴はリビドーの最も重要な組織者である。
ユングの象徴という言葉の使い方は精緻である。
象徴は記号ではない。
読まれ解釈されても記号の意味はまったく失われることがない。
停止の記号は「停止せよ」という意味である。
しかしユングの考えでは、象徴は、意識には理解できない何か、
あるいは現在の段階ではいまだ理解できない何かの、
可能なかぎり最良の表現なのである。
象徴の解釈は、象徴の意味をより理解しやすい語彙や
一連の用語に翻訳する試みである。
しかし象徴におきかわることはできず、
象徴はその伝える意味の最も優れた表現であり続ける。
象徴は人に神秘を啓示する。
それらはまた霊の要素と、
組み合わせる。
この理由のために、高揚した霊的状態とか神秘体験の叙述は
しばしば栄養摂取とセクシュアリティのような
身体的・本能的な満足と関わっているのである。
神秘主義者は、
オルガズム体験として語る。
おそらく、そのとおりなのだ。
象徴の体験は、強力で説得的な全体性の感情の中で、
肉体と魂を結合させる。
ユングにとって象徴がかくも重要なのは、それが
自然のエネルギーを文化的で霊的な形に変容させる能力ゆえである
そうして次に
日本国憲法の天皇条項
第1章 天皇
第1条
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、
この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。
ユング=マレイ・スタイン的に見れば
日本国の象徴であり
日本国民統合の象徴である
天皇は
意識には理解できない何か、
あるいは現在の段階ではいまだ理解できない何かの、
可能なかぎり最良の表現
であることになる
これを解釈しようとして
より理解しやすい語彙や
一連の用語に翻訳する試みをしても
いかなる言語表現も理性的探求も
これにおきかわることはできず
象徴としての天皇は最も優れた表現であり続ける
国民であろうと
外国人であろうと
天皇に意識を向ける者たちは
象徴である天皇を体験することしかできず
分析も解釈も翻訳も
もちろん批判もできない
天皇を象徴とした日本国憲法は
決定的な魔法の城塞であることがわかる
理性と言語は
この城塞を解くことはできない
この象徴をただ体験せよ
天皇をただ経験せよ
と象徴の本源的な力によって命じ続けているのが
日本国憲法である
*マレイ・スタイン『ユング 心の地図』(入江良平訳、青土社、1999)p.117。
Murray Stein 《Jung’s Map of theSoul : An Introduction》, 1998
0 件のコメント:
コメントを投稿