2021年5月22日土曜日

五条橋下と大燈国師


 

かなり早い梅雨のおとずれとなり

鴨川の流れも荒れているのをニュースで見た

 

ことしの春は鴨川ぞいをながながと歩いた

下鴨神社を参詣してから

若松町あたりまでは歩いただろうか

戻って御池大橋から上がって

Zest御池まで行って蕎麦を食べた

 

五条大橋までは今回も行き損ねた

べつになにもない場所だが

大燈国師が二十年も橋の下に暮らして

餓死ぎりぎりをさまよう無告の民や乞食

病人らと寝食をともにした橋である

 

花園上皇はこの師風を慕い

紫野に大徳寺を建立して大燈を開山に迎える

日本における林下道場がここに創られ

唐代の峻厳きわまりない純禅の道が開かれた

無権力無財力にして

清貧孤高

常住坐臥

行雲流水

本来無一物の自己見性の純禅

 

五条橋の下の乞食の中から

大燈国師を見つけ出す話が面白い

大燈国師はまくわ瓜を好んだ

勅使がまくわ瓜を差し出して言う

足無くして来る者にこの瓜を与えよう

乞食たちは意味を解さなかったが

ひとりが足を引きずって近寄ってきて

ならば手無しで渡せと答えた

稀代の禅者の露見した瞬間である

 

五条橋下での長きにわたる飢餓修行は

大燈国師の片脚を不自由にさせた

結跏趺坐が組めなくなっていたという

死に臨んだ際には不自由な脚に向かって

これまではお前の言うことを聞いてきてやった

今度はわしの言うことを聞けと言って

片脚の骨を音立てて折って結跏趺坐し

座禅したままの姿で死んだという

こういう死に方を座脱という

 

やはり傑出した僧だった弟子の関山も

畳の上に寝ては死ななかった

旅衣して弟子と井戸まで歩いて行き

大樹の下で諄々と訓戒を垂れてから

立った姿のままで死んだ

こういう死に方を立亡という

 

大徳寺では今も開山忌の仏餉に

大燈国師の好んだ瓜を供えるという





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