いつのまにか春だ
と思っていると
いつのまにか初夏だ
となっている
なんでも
かんでも
いつのまにか
なのだ
きっと
いつのまにか
与えられた時間は尽きて
手持ちのエネルギーも尽きて
こんなことを思う意識も
みごとな手品のように
なくなってしまうのだろう
そうして
なにもないということが
なにもないという自覚もなしに
なにもないままでいるうちに
いつのまにか
また意識が生じたり
しているのかもしれない
意識にしても
なにもないということにしても
いつのまにかということの
秘密は
いつまで立ってもわからずじまい
その秘密が知りたいならば
だから
まったく違うことを
してみるほかないんだよ
いつのまにかということに
つきあうのを
やめる瞬間というのは
たぶん
いつのまにか
来るものではないから
まったくべつのものが下りてきて
べつの発火が起こり
いつのまにかということに
馴染みすぎてきたものたちは
まったく違うものになる
ようやく
なる
のではない
べつのものになると
それまでの時間も過去も記憶も堆積も
すべて
べつのものに
変わってしまうから
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