なにも言いたいことがないとき
ぼくはしあわせだ
ただ
雲のながれを見ていられる
で
たいてい
なにも言いたいことはないので
ぼくはしあわせだ
ただ
雲のながれを見ているから
と
ここまで書くと
もうちょっと
書きくわえようかな
とか
思ってきちゃう
書きくわえようかな
と思ってきちゃうときも
ぼくはしあわせだ
なにも言いたいことがなくて
でも
もうちょっと
なにか
書きくわえようかな
とか
思ってきちゃう
しあわせ
なにも言いたいことがないとき
ぼくはしあわせだ
ただ
雲のながれを見ていられる
で
たいてい
なにも言いたいことはないので
ぼくはしあわせだ
ただ
雲のながれを見ているから
と
ここまで書くと
もうちょっと
書きくわえようかな
とか
思ってきちゃう
書きくわえようかな
と思ってきちゃうときも
ぼくはしあわせだ
なにも言いたいことがなくて
でも
もうちょっと
なにか
書きくわえようかな
とか
思ってきちゃう
しあわせ
梅雨に入ろうとしている
外装修繕工事をしているビルのところどころに
網のような薄いホロが掛けてあって
風が吹くたびに揺れて波打つ
その上には厚い雲や
薄い雲が
さまざまに空を覆っていて
曇天
などとひとことで纏めてしまうのは惜しいし
間違いだと思う
曇天
などと
ひとことで纏められないと痛感すると
思いつくままの
ありきたりの言葉の並べは止めないといけないと考えるし
ぺらぺら
民放のバラエティーの司会者や
はたちやそこらで
人生論をしゃべくる若者さんたちのような
ところてん言葉撃ちも
もちろん
止めないといけなく思う
風が吹くたびに揺れる
網のようなホロにできる波打ちが美しい
風は風景を
たちまち
生き生きとさせ
立体感をグッと高めてくれる
つまりは
これじゃないのか?
人が求めて
この世まで下りてくるのは
結局
風を見たいがため?
いろいろな意味での
風を?
Ⅰ
老境のヴィクトル・ユゴーは
馬車での散策を
愛人のジュリエット・ドゥルエとくり返した
彼は終始押し黙り
瞑想しているかのようでさえあったが
大小ふたつの門のある屋敷の前に差しかかると
大きな門を指さして
ジュリエットに
「ほら、馬車用の門だよ」と言う
すると
ジュリエットが小さな門を指して
「あなた、徒歩用の門ですわ」
と言う
さらに先へ進んで
枝を絡ませあっている二本の大樹のところに来ると
ユゴーは
「ほら、フィレモンとバウキスだ」
と言うのだが
これには
ジュリエットは答えない
何年にもわたって
この散策も
会話とも言えないこのやりとりも
儀式のごとくくり返され
おそらく千回にも及んだだろうが
判で押したかのように
まったくおなじやりとりだった
Ⅱ
フィレモンとバウキスは
ギリシア神話中の老夫婦で
人間に身をやつしてゼウスとヘルメスが来た時に
手厚くもてなした功から
同時に死にたいという願いを叶えられて
寄りそう二本の樹となって死んだ
このことから
夫婦愛の象徴とされている
Ⅲ
「ほら、フィレモンとバウキスだ」
と言うユゴーに
ジュリエットは答えなかった
ジュリエットは
1833年
27歳の時にユゴーに会い
それまでの女優のキャリアを捨てて
ユゴーの秘書となり
また旅の同伴者ともなって
その後の50年間を
彼の愛人として過ごした
ユゴーの妻が死んだ後も
ジュリエットは
ユゴーと結婚することはなかった
「ほら、フィレモンとバウキスだ」
と
ユゴー
答えない
ジュリエット
Ⅳ
ヴィクトル・ユゴー 1802―1885
ジュリエット・ドゥルエ 1806―1883
ユゴーより二年先に逝った
ジュリエット
ユゴーのまわりの人びとは
ジュリエットの葬儀へのユゴーの参列を
思いとどまらせたという
ジュリエットなき後
最期の二年を
ユゴーは
どう生きただろうか?
Ⅴ
政治家ともなり
ナポレオン三世に抵抗したユゴーの
波乱の歳月
ジュリエットは献身的に
ユゴーを支えた
しかし
ユゴーは
1844年から1851年の7年間
レオニー・ドネを愛人とし
1847年には
女優アリス・オズイとも関係している
ユゴー71歳の1873年には
ジュリエットの家政婦ブランシュと関係したが
当時67歳のジュリエットとしてみれば
長年にわたる尊敬すべき老愛人のお手軽な痴情処理に
呆れるほかなかっただろう
Ⅵ
生涯を通じて
ジュリエットからユゴーに向けて書かれた
22000通以上の手紙は
彼女の文才を証明するものとされる
ジュリエット77歳の
1883年1月の最後の手紙には
こう書かれている
《こんな時代ですから
来年はどこにいることになるか
私にもわかりません。
けれども
こうしてあなた宛てに送る私の“生存証明書”に
たったひと言
「愛しています」
という言葉だけでサインできて
私は幸せです。
誇らしく思います。》
Portrait de Juliette Drouet par Jules Bastien-Lepage, 1883
子どものなかった
稗田のおじいさんとおばあさんは
ひょんなことで知り合っただけだったのに
幼稚園に上がるか上がらないかの頃のぼくを
ずいぶん可愛がってくれて
田舎だけどおいで
夏にはおいで
と言ってくれたので
甘えて
何度か出かけて
田舎の夏を満喫させてくれた
何羽か
ニワトリやウサギを潰して
ぼくに食べさせてくれた
最初に行った時に
ひそかに名前をつけて
ひそかに友だちとなった
ニワトリのジョンと
ウサギのポンタタも
次の夏や
その次の夏には
潰されてしまった
だから
その後のぼくは生きてきたのだ
ジョンやポンタタの
いない時間を
ジョンやポンタタの
いない世界を
Oh ! les pierres précieuses qui se cachaient,
− les fleurs qui regardaient déjà.
Arthur Rimbaud «Après le Déluge »
おお! 身を隠していた宝石たちよ、
ーー すでに見つめていた花たちよ。
アルチュール・ランボー『大洪水の後で』
文字を並べはじめると
だれもが
すぐに
ひとに読まれよう
などと
思いはじめる
読まれる
読まれている
読まれるだろう
などと
並べられていく文字のかたわらで
やかましくなる
みにくくなる
まったく読まれない
けっして読まれない
そんな文字の並びのほうが
よっぽど
たぐい稀なもの
なにか
本当にとんでもないことが起こるとすれば
けっして読まれない文字が
並べられたまま
物理的な線の軌跡にさえ執着せずに
宇宙の生成のなかに
何億光年も
飲み込まれ続けていく時
見られていたのだ!私は!
ジェラール・ド・ネルヴァル『オーレリア』
石も
古びたビルも
役割の終わった段ボールも
見つめていると
見飽きない
しかし
いつまでも見つめているわけにもいかないので
どこかの時点で
見つめるのをやめる
見つめるのをやめた時点の後の
石も
古びたビルも
役割の終わった段ボールも
あり続けている(はず)なのに
(もう)
わたしの意識世界に(は)
あり続け(なくな)る
何度も
何度も
こんなさびしさに貫かれたので
見つめることと
見つめないことは
ようするに
等価だと
思うようになった
わたしが
いま
見つめていないものたちよ!
見つめたことのなかったものたちよ!
だから
わたしは
ずっと見つめていたのだ!
いつも
はるかな…とか
遠い…とか
言ってたでしょう?
ぼくら?
それでいて
小さなカニとか
アサリとか
たまにはフグの子とか
獲ってばかりいた
あの頃が
いまは
はるかな…とか
遠い…とか
呼ぶべき
かなた
そうして
もう
「ぼくら」
とは言わない
言っても
だれにも届かない
晴れ
というものが
どこかに
ほんとうにあったなんて
忘れてしまうぐらい
曇り空が
続いたらいいのに……
小声で
岬の丈低い草に座って
つぶやいた
肌の透きとおるようだった
あの少年
好きでした
晴れ
というものが
どこかに
ほんとうにあったなんて
忘れてしまうぐらい
死んだはつ子さんと話していたら
死にそうなとき子が
はつ夏の街のどまんなかというのに
宙を小舟に乗ってきて
紙風船なんかを
ぱんぱん
ぱんぱん
跳ねさせながら
ゆっくりと過ぎていった
ああいう時は
声
かけないほうがいいのよ
と
はつ子さんが言うから
かけなかったけれど
とき子さんのはつ夏のワンピースが
それはそれはきれいな
薄いピンク色していたので
そのことだけは
ちょっと
言ってやりたかった
いいから
はやく
生まれておいで!
ゆう太くん!
街は
だんだん
色とりどりの
かわいいお化けで
いっぱいだ
ゆう太くん!
あの交番のわきの金網では
ヒルガオが
もう
たいそうな絡まりようで
夏を先取りして
薄桃色の
宴の
真っさかり
じっくり
眺めていたいけれど
交番のおまわりさんに見とがめられそうで
いつも
さっさと過ぎていく
この悔しさったら!
この不甲斐なさったら!