2023年5月21日日曜日

ひさしぶりに『二人セゾン』

 

 


歳をとってくれば体が老化するのは必然だろうが

体は歳をとってきているのに老化を感じさせない人と

やけに老化を感じさせる人とがいて

老化を感じさせる人にはいっさい近づかないようにしている

こちらに老化が移ってくるのがイヤだからで

周囲の世の中を見て

「最近の若い人っていうのは……」

「もう今の時代は……」

「昔のあれこれはもっとよかった……」

などなどの枠付けでなんでも処理しようとする口調に

いつのまにか感染していくのを必死で避ける

 

老化が遅い人の特徴は熾烈な好奇心を持っていることだろう

老いるのを忘れてあれこれに興味を持ち野次馬になり続ける

年相応の振る舞いをするとか顔つきをすることを忘れ

興味を惹かれる物事に少年少女のように引っぱられ続ける

 

こういう人たちは中年までならいくらでもいるが

それ以上の年齢になってくるとずいぶんと減ってきて

テイストがNHKっぽくなってきたり

区や市の広報の言葉づかいっぽくなってくる

革命も抵抗も反抗ももう語彙や思念のタームから抜け落ちる

革命や抵抗や反抗も下らないファッションであることがほとんどだ

そういう革命や抵抗や反抗を批判しなくなって盆栽しちゃったりす

大学院などには若いうちからそういう盆栽系が集まり

爺むさいだけのそこに何年も関わり続けたぼくは胃潰瘍になったが

さすがに修道院みたいな名前の場所だけに生まれつきの老人の場所

今思い出してもゲエとなってしまう

 

ひさしぶりに『二人セゾン』を聴いたら

やっぱり奇跡的な曲だったなあと確認できて

お歳を召した方々へもLINEで送ってみたが

やっぱり反応は皆無だった

ただの高校生騙くらかしポップスだと思ってバカにしていると間違

とんでもない高レベルまでヒューッと行っちゃった曲だよ

と6年前も周囲に喧伝したものだが

いわゆる大人の方々は誰も共感してくれなかった

もちろん商売優先の連中が寄り集まってこしらえたポップスに違いない

しかし欅坂46はポップスの中で社会批判を企てた

矛盾に満ちたあり得ない奇跡的な試みだった

 

けれども「欅坂46」とか『二人セゾン』などを口にしただけで

もう大人の世界では浮いてしまい誰とも話は出来なくなる

なんだろうこの硬直は?老化は?終活化は?と思う

まるでニッポンのようじゃないか?と呟くのが

最近のぼくの癖になってしまった

 

ひさしぶりに『二人セゾン』を聴いて

やっぱり奇跡的な曲だったなあと確認するついでに

オタユキという人の男声でのすばらしいカバーを発見できたり

『みんなのセゾン/二人セゾン6周年』という記念映像も発見できて

なかなか収穫があって楽しかったし

いっぽう歌詞としては『サイレントマジョリテイー』のほうが格段にいいと

確認もやっぱりすることにはなったが

『サイレントマジョリテイー』には足りない適度な感傷性と

可憐な悲壮感のブレンドぐあいが

『二人セゾン』の場合には成功している

やっぱり

 

それにしても

『二人セゾン』を聴いたりすると

ロートレアモンの『マルドロールの歌』を

無性に読み返したくなったりするのは

どうしてだろう?

 

 

 

 

「二人セゾン」

https://www.youtube.com/watch?v=mNpPQXMgtmw

 

「みんなのセゾン/二人セゾン6周年」

https://www.youtube.com/watch?v=EYoQJsz6uXc

 

オタユキ「二人セゾン」

https://www.youtube.com/watch?v=d4kaWke2gQA





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